鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―68―「斗米庵鐫蔵(とべいあんせんぞう)」という書き入れのうえ下に押される「汝鈞」(白文方印)と印影が近しいものである。また《雪竹に錦鶏図》に備わる印章は《素草』と『和漢三才図絵』には「光あり」という記述がない。鸚哥に「光あり」と表現した宝暦時代に生きる人々は、百科全書的な博物書による知識を求める態度から、実物を実際に見ようとする態度に変化していたと考えることができるだろう。3.《著色花鳥版画》について《著色花鳥版画》の制作に関する試論を提示しておきたい。各図に備わる印章が異なることからも順次制作されたと考えられる。作品の特徴および印章から二つに分類することができるだろう。《雪竹に錦鶏図》と《青桐に砂糖鳥図》はモチーフの鳥が平面的に表現されている。また自然景ではない《鸚鵡図》を除外した上で、《雪竹に錦鶏図》図は錦鶏が、《青桐に砂糖鳥図》ではあおぎりが大きすぎ、他の三点に比べ画面のバランスが悪いように感じられる。印章からは《鸚鵡図》に表される「汝鈞」(白文方印)は、《玄圃瑶華》の跋文に絢帖》の各図に備わる印章と印影が近しいように見える。構図および、印章から判断すると、《雪竹に錦鶏図》、《青桐に砂糖鳥図》、《鸚鵡図》先に制作され、その後《櫟に鸚哥図》、《椿に白頭図》、《薔薇に鸚哥図》が制作されたのではないかと考えられる。背景を漆黒で塗りこめることで濃淡を用いて表現される鸚哥、白を基調とする鸚哥などコントラストが明確になっている。「光あり」と記される猩々鸚哥と砂糖鳥には縁取りがされているように見える点も注目に値する。《著色花鳥版画》制作において上方でしばしば用いられる合羽摺の技法を選択したということは、本作品の受容者層に、上方の人々が意識されていたのではないかと考えられる。《著色花鳥版画》六図の内、錦鶏と嶋ひよ鳥は大坂、京都の見世物を伝える史料には記載されず、江戸の見世物を伝える史料にのみ記されている。京都と大坂での鸚哥がまったく同じであることや、三都市の鸚哥の解説文に「光あり」という記述があることを考えると、京都、大坂、江戸での鸚哥の見世物は同じ興行主によって催されたと考えられる。若冲が《著色花鳥版画》制作までに、江戸での見世物に関する一枚摺を手にすることも可能であったのではないだろうか。虫食い穴や病斑の描写方法は拓版画作品と同じ手法を用いており、若冲の版画作品として拓版画作品群と《著色花鳥版画》の近似性を示している。

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