鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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)ヴェネツィア、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂再建時(16世紀初頭)におけⅠ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告―1―1.2006年度助成る図像プログラム――東西教父(教会博士)の表象の意義――研 究 者:名古屋大学大学院 文学研究科 博士課程  須 網 美由紀1.はじめにヴェネツィアのリアルト橋近くに現存する、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ聖堂は、4世紀のギリシア教父の一人である、聖ヨアンネス・クリュソストモスに捧げられた聖堂である。創建は12世紀初頭に遡るが、1475年に近隣から出火した火災で著しい損傷を被ったため、その後、主任司祭に着任したルドヴィコ・タレンティ(1480−1516在職)を中心に再建計画が進められ、1497年から、15世紀のヴェネツィアにおける最大の建築家であるマウロ・コドゥッシによって、新ビザンティン様式―ビザンティンの伝統であるギリシア十字プランとルネサンスの建築要素を融合した様式―で新たに別の場所に再建された。再建と平行して、1502年に、トゥッリオ・ロンバルドによる祭壇彫刻が北側のベルナボ礼拝室に設置された後、1510−11年頃、セバスティアーノ・ルチアーニ作《サン・ジョヴァンニ・クリソストモ祭壇画》が主祭壇に、1513年に、ジョヴァンニ・ベッリーニ作《ディレッティ祭壇画》が南側のディレッティ礼拝室に設置された〔図1〕。これまで、それぞれの作品について個別には論考されてきたが、再建時における聖堂の図像プログラムが研究対象となることはなかった。しかしながら以下のような、本聖堂の規模やプラン、三作品の注文の経緯、構成及び図像的特質などを勘案すれば、各々の作家が自分の創意に任せて勝手に制作したとは考え難い。すなわち、①本聖堂が約400m2というかなりコンパクトなギリシア十字プランであること、②最後に設置された《ディレッティ祭壇画》の制作を指示した、ジョルジョ・ディレッティの遺言書が、すでに1494年に、公証人でもあったタレンティ主任司祭によって作成され、主任司祭自身が彼の遺言執行人の一人でもあったこと、③南北礼拝室の半円筒ヴォールトが《ベルナボ祭壇彫刻》と《ディレッティ祭壇画》の中にそれぞれ再現されている

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