鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―85―このように、香村の作品に関する紹介も少しずつなされてはいるが、確実な文献資料がほとんど見いだせない現状では、香村研究の足場は現存する諸作品に立てるしかない。そこで、受けることのできた助成を活用し、作品の所在調査を進めた結果、これまでに百点以上の香村作品を確認することができ、その調査・撮影、データの整理が本研究の主な作業となった。2 現存作品の画題と画風確認、調査する事ができた百数件の作品を画題別に分類すると、山水が約40、人物が約30、花鳥は約20、その他肖像画、蓬Y図などが数点となり、香村は山水、人物を中心として各種の画題を平均的にこなしていたものと推測される。次に山水図と人物図について詳しく見てみたい。香村山水図の多くは、香村が斧劈皴を基調とした狩野派学習から出発した事を想像させる。また一部は院体画などに学んだ一群の文晁山水図に近い。皴の描法は、筆側を用いる事は少なく、筆先を用いたさほど太くない描線を平行に連続させて引くもので、そこに淡墨を併用する事により、岩の立体感を出している〔図2、3〕。そのようにして表現された山や岩の皴はリズミカルな軽やかさを持ち、鋭角的なきつさを持たず全体に穏やかな印象を与える。披麻皴のような柔らかく長い筆触や米法などを用いた南画風の作品は現在までのところ、見いだすことができなかった。また、余白を多く取り皴の筆触を伸びやかにしていくと、画趣は四条派の山水図に近づく。《山水貼交屏風》(個人蔵)・《三星耕作図》(個人蔵)〔図4〕などいくつかの山水図に見られる描法は、ほぼ四条派のものと言ってもよいだろう。その温和な印象は応挙、呉春以降の松村景文、岡本豊彦らの作品に近い。さらに、香村山水図の中でも特徴的な一群の作品に、《山水図屏風》(個人蔵)〔図5〕・《豆州春秋山水図屏風》(個人蔵)〔図6〕などの、実景に基づくと思われる山水図がある。すでに、香村は初期の作品として真景図《信遊図絵》(会津若松市蔵)を制作している。同図は文化10年(1813)の信州諏訪への旅の行程を描いた33図からなる画帖で、同13年(1816)に描かれた。遠近法を取り入れた真景図は、雄大な景観を合理的な視点から捉えており、30歳代の香村が合理的な視覚を身につけていたことが窺える。30年後の弘化年間に描かれた《山水図屏風》(個人蔵)・《豆州春秋山水図屏風》(個人蔵)には、この時に獲得した視覚が活かされているものと思われる。やや高所から俯瞰した視線で海浜風景を描く両図は、余白を多く設け着彩を淡白に抑える四条

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