鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―86―「豆州鯉名春景」、左隻には「豆州嘉貫穐景」と記されている。鯉名は現在の南伊豆町派の技法に基づいているが、前述した皴法で描かれた岩や山は堅固な存在感を示している。真景に基づくと思われる実在感を持った山水図は、他にも数点あるが、その景観がどこのものであるか明確にできる作品は少ない。その中で、描かれた場所の地名が記されている《豆州春秋山水図屏風》(個人蔵)は貴重である。落款とともに右隻にはにあった地名で、嘉貫は現在の沼津市に含まれる香貫山と思われる(注5)。その他、興味深い一群の作品に洋風画系の作品がある。香村の作品の中でも亜欧堂田善ら須賀川系の洋風画の作例として、《十六橋図》(個人蔵)・《七里ケ浜図》(福島県立博物館蔵)〔図1〕が金子氏により早くに紹介されている(注6)。両図とも山の量感、空の広がりが巧みに表現されており、当然、田善との交流が考えられるが、現在までに、それを明らかにできる資料は多くない(注7)。香村の画業の中では異色な分野であったと思われるが、会津の名勝十六橋を描いた《十六橋図》(個人蔵)などを見ると、洋画の習得は中途半端ではなく、風景から得た自らの印象を油彩画の技法を用いて画面に定着することができる程度まで習熟していたことが窺える。香村の作品は、山水図の分野だけでもこのように幅広い画風を見せる。これは、香村に限らず、谷文晁はじめ江戸時代後期の画家に共通する傾向であるが、さらには、複数の画風の融合も指摘できるのではないだろうか。《豆州春秋山水図屏風》(個人蔵)は、四条派の技法を基調とし、部分的に狩野派や文晁作品の皴法などを用いて現実的な真景図の視覚を表現したものと言えるだろう。山水図に次いで作品が多かったのは人物図であるが、香村の人物図の多くを唐人物が占めている。山水の中に取り入れるもの、人物のみを描くものとあるが、筆法は四条派のものである。『三国志』の登場人物や飲中八仙ら文学作品中の人物、陶淵明らの文人、太公望ら故事人物、福禄寿、琴高らの神仙など、画題となった人物は、特定できないものも含めて、神仙から偉人まで多種に及ぶ。唐人物は他の画題に比べテキストとなる版本や粉本の必要度が高い。香村にとっても例外ではなく、多種の唐人物を描くにあたって複数の版本を利用したものと思われる。一例をあげよう。《群仙図巻》(福島県立博物館蔵)〔図7〕は、「人物譜」と題され、侍童を含む27人の唐人物が描かれた一巻である。描かれた各人物は、一見香村の創意によるものかとも思われるが、一部が版本によっていることが確認できた。公孫勝、鮑旭、樊瑞、孔明、孔亮の5人の図像はいずれも『天D地E圖』から取られている。同書は、その跋によれば、中国で出版された清の画家陸謙による原本を天

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