―88―また、江戸時代後期の仙台藩の高僧南山古梁の書を左右幅とし、中幅に香村が雉子図を描いた三幅対がある。同時に制作されたものと断定はできないが、同質の絹本に描かれており、当初から三幅対として制作されたものと思われる。その他、須賀川の俳人市原多代女の賛を持つ作品〔図10、11〕は、いずれも俳画と呼ぶべき作品で、淡彩で草花を描く書画一致の雅味あふれる作品である。俳人としても活躍した香村の才が生かされた分野であり、今後類品の発見に努めたい。さらに、会津藩士で幕末の会津を代表する書家星研堂、同じく儒者松本寒緑の着賛がある作品も発見でき、香村と会津藩の教養人との交流が確認できた。4 落款・印章これまでに調査した作品からは、《香村山人》・《痩梅之印》・《香村》(白文楕円連印3種)、その他の《香村》印五種・《水石》・《遠藤痩梅》・《丙辰七十翁》〔図12〕・《七十六翁》などが確認された。《香村山人》・《痩梅之印》〔図13、14〕のように初期から晩年まで使用した例もあれば、《遠藤痩梅》のように晩年の数年間のみ使用例が見られるものもある。また、落款書体の変遷についても、傾向が明らかになった。文政7年(1824)作の《太閤花見図屏風》(個人蔵)の《香村》落款〔図13〕は「香」の筆画が明確に書かれている。これが、天保2年(1831)の《嵐山・東福寺図屏風》(個人蔵)では、「香」字の3画目以降が一筆で一息に書かれるようになり、この書体が晩年まで続く。弘化3年(1846)の《山水図屏風》(個人蔵)では、「村」字の「木」偏部の各筆画が重ならず大きな運筆で書かれるようになる。例外もあるが、印章の組み合わせと落款書体のこの傾向を検討すれば、年記のない作品についても、制作期のおおまかな推定が可能であろう。5 香村の著作『画学須知』と『石田拾穂』現存作品に比べ香村に関する文献資料は少ない。その中で、近年発見された『画学須知』『石田拾穂』は、香村自筆の可能性が高い貴重な資料である。『画学須知』は後世の写本が知られているが、その記述が原本のすべてを忠実に写しているのか、あるいは抄本なのかをこれまで確認する事ができなかった。新出の『画学須知』(会津若松市蔵)は、『画学須知』『画学須知前篇』『画学須知後編』『画学須知続編』の4冊からなる。複数の筆跡が含まれ、判読しがたい部分も少なくないが、訂正箇所や貼紙も少なく、草稿の最終段階、あるいは副本にあたる性
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