―89―格のものかと思われる。また、同じく新出資料である『石田拾穂』(会津若松市蔵)は、『石田拾穂』と『石田拾穂叢話』からなり、新出の『画学須知』と同じ体裁、筆跡である。解読の結果、『画学須知』には、全4冊に絵画技法、素材、画論、画題、作品論、画家、歴史、本草学、医学、蘭学その他諸学、風聞など約230項目が記されていた。『画学須知』の中には、すでに写本の内容の検討から磯崎氏も指摘している『中陵漫録』・『紅毛雑話』などの他(注9)、『佩文斎書画譜』などの画論書、平賀源内の薬品解説書『物類品隲』、『枕草子』・『古今著聞集』などの古典からの引用も多く見られ、画家の読書量と幅広い分野への関心、学習が窺い知れる。また、『石田拾穂』には、120項目が記され、絵画に関する項目が中心の『画学須知』では取り上げられなかった、さまざまな奇談が含まれている。天狗の話などの荒唐無稽なものが含まれているが、間欠泉や地震活動に関する記述や蜃気楼などの気象現象の記述、各地の民俗行事の記述も多い。直接に絵画制作に関わるものではないが、未知なるものに対する香村の好奇心が現代の我々にも生き生きと伝わってくる。江戸時代後期の会津地方の風俗資料としても高い価値を持っており、これを機に今後紹介に努めたい。結び会津地方の文化財調査において、しばしばその名を耳にする遠藤香村であるが、現在伝わる略伝は伝聞を主としたもので、継続的な作品調査も行われてこなかったため、その画家としての技量は知名度の割に明らかではなかった。これまでの作品調査により、画題の傾向、画風の幅、完成度の振幅、版本の利用など香村作品の全体像が描けてきた。そこから見えて来たのは、狩野派の皴法、四条派の筆法を基調に写生的な視覚を取り入れた山水図、四条派を基調にした唐人物図を中心に、洋風画や俳画もこなす画家の幅広い技量であった。江戸時代後期はさまざまな画派が出そろい、互いに影響し合って多彩な作品群が生み出されていたが、江戸、京都を遠く離れた会津地方の一画家遠藤香村もその潮流の中にあり、当時の絵画の新潮流を貪欲に摂取したようである。今回の助成により、現時点までに百点を超える作品を調査する事ができ、今後、香村作品を調査する際の基準を得る事ができたが、作品はさらに発見が期待できる。現状では、多くが現存している香村作品のデータ集積の段階にとどまっており、断片的な研究となっているが、今後、本調査の当初の目的であった文化の伝達者として香村
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