鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―91―とを題が機知的に示している〔図3〕(注25)。1919〜20年頃の大型画面における技法は、直前までの素描にあらわれたキュビスム的なファセットによる構成を下敷きにしており、下地に貼り付けた紙や布の上に絵具を塗って観念空間としての気分表出を行っているが、絵具の下から印刷文字が透けて見えるようにし、さらにその上に貼った紙には色を塗らないで現実空間に接触させ、観者の触覚にも訴えようとしている。〔図4〕ここには明暗交替によってリズムを作る意図があるが、それと同時に、絵画平面をはさんで画面奥への後退と、反対に現実空間側への突出という2方向の空間の展開が見られる。また、メルツ素描では絵具を塗らずに、貼り付けた素材の表面効果の取り合わせを重視しているが〔図5〕、各所に暗色の面を配して深さの感覚を生むようにしたり、紙片類の積層的な配置が画面最前面から奥への段階的な空間展開をなしている。このように、現実空間と接触して観念的な奥行き深部へも連絡を図ろうとする空間構成は、「リズムの評価」という過程を経てなされる。上掲の『船乗り』の車輪断片が垂直水平構図に対する曲線的リズムの対置であり、また画面からせり出すように設置されているように、いわば空間そのものにもリズムが刻印されているのである。シュヴィッタースは、先に述べた通り、当初は絵画の純粋性を目指していたが、その理想はメルツを開発するに及んで放棄されたようである。彼は、絶対絵画(dieabsolute Malerei)にはモンドリアンが最も近いことを認めている(注26)。しかしその代わり、彼は芸術創作について、「全能の神とはちがって、人間は何一つとして無から物を生み出すことはできない。…人間の創造行為とは与えられた物から何かを形作っているにすぎない」という信条を持つにいたった(注27)。これは制作過程のすべてを素材の組み合わせの探究に充てるメルツの信条とも言え、また、かつて自身で試みてきた抽象絵画の非具象性に対する批判ともなっている。イザベル・エーヴィヒは、ハンス・アルプの生物的形態の造形に対して、シュヴィッタースの地質学的な積層ないし結晶化の造形を対比させ、両者とも自然の法則に倣って、作品が自立的に生まれるように取り組んでいることを指摘している(注28)。エーヴィヒの喩えは、素材同士が固く凝結したようなメルツ・コラージュの特徴をよく表しているけれども、自然法則というよりも、むしろリズムになってあらわれるような、強い表出意欲によって画面が形成されると考えたい。シュヴィッタースによる詩『石の上に石を積めば建築となる』(1934年)には、「ものを創造する手は空間を作り その人の全てを空間に備える それは彼の世界だ」(注29)と、創造された空間と表現された世界像について解説されている。石積みと

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