鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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ティントレット絵画と社会が期待した表現形式―96―COLLEGARVM IACOBVS TINCTORECTVS FACIEBAT」〔図2〕。この署名において、研 究 者:財団法人碌山美術館 学芸員補  武 井   敏1.はじめに16世紀ヴェネツィアの画家ヤコポ・ティントレット(1518−1594)は、その後半生を聖ロクス大同信会館の装飾事業にささげた。この事業に着手して間もない1565年に制作された《磔刑》〔図1〕の左下には次のような署名がある。「1565年、優れたるジロラモ・ロータがグァルディアンの任にあるとき、会員であるヤコポ・ティントレットが描けりMDLXV TEMPO MAGNIFICI DOMINI HIERONYMI ROTAE ETラテン語の動詞の未完了過去時制FACIEBATが用いられていることは注目に値する。この署名の仕方は、ルネサンス期において、絵画の神アペレスに比肩する芸術家の自負の表れであると、解釈されるからだ(注1)。自己言及的な署名や自画像に注目した、芸術家の自己成型あるいは芸術家伝説についての研究が近年進展している。たとえば、秋山氏はアルブレヒト・デューラーの《1500年の自画像》〔図3〕に記されたラテン語の未完了過去時制に注目し、デューラーの自己成型に関する論考を多く発表している(注2)。こうした研究動向を受け、「絵画の神」としての自負心を読み取ることができるような署名をティントレットが1565年に残した背景について考察を試みたい。2.「ミケランジェロのディセーニョとティツィアーノの色彩」生涯ヴェネツィアに留まりながらもトスカナ=ローマの芸術的動向、とりわけミケランジェロの芸術を研究したティントレットは、当時のイタリア美術界を特徴付ける二つの対立項(トスカナ/ヴェネツィア、ディセーニョ/色彩)とともに語られることが多い。というのも、17世紀の伝記作家カルロ・リドルフィが、ティントレットはそのアトリエに次のモットーを掲げていたと伝えているからである。「目標から外れることがないようにと、彼はアトリエの壁に研究のモットーを次のように記した。:ミケランジェロのディセーニョとティツィアーノの色彩」(注3)。このリドルフィの記述から、さまざまな論者が「ミケランジェロのディセーニョ」と「ティツィアーノの色彩」という二つの対立項を挙げてティントレット芸術について言葉を割いているが、この二つの対立項が適切にティントレット芸術を表現しているかについて意見の一致を見てはいない(注4)。ここでは、リドルフィの伝えるモットーが、ティント

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