鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―98―「メレアグロスの遺体の運搬」からルネサンス期の「キリストの遺体の運搬」の図像〔図6〕。この脚部が描きこまれていることは、それがティントレット作品の主題に関た同場面は、画面中景に山積みにされた薪が描きこまれ、右側前景に遺体を救出した一群が描かれている。主題の核心的モチーフであるこの一群は、マニエリスム特有のルプソワール的表現で大きく扱われ、画面外側に向かう動勢も相俟って一段と鑑賞者の注意を引く。この主題は類例が少ない。そのため、ティントレットは制作するにあたり古代浮彫的伝統を参考にしたとの指摘がすでになされている(注6)。こうした指摘を受けて、たとえば現在ローマのカピトリーニ美術館に所蔵されている《メレアグロスの遺体の運搬》〔図5〕の遺体を運搬するモチーフと、ティントレットの《聖マルコの遺体の救出》のそれとを比較してみれば、両者が非常によく似ていることがわかる。遺体を運搬する人物の配置やポーズ、遺体のだらりとした右腕、遺体の両足を抱えるポーズ、遺体の頭部を抱える人物などがそれに該当する。大きな違いは、古代浮彫のメレアグロスの遺体を背中で支える人物が、ティントレットの作品に描かれていないことだ。しかし、この人物のポーズを反映したと思われるモチーフがティントレットの作品に描きこまれている。それは、遺体を運搬する人物群のさらに右側にわずかに描きこまれた、つま先で地面を蹴りあげる、画面の右外へと向かう強い動勢のある脚部である係しないモチーフであるだけに、古代浮彫との関係を一層強く印象付ける。ティントレットがこの古代浮彫を参照した契機として断定することはできないまでも、同時代に出版されたアルベルティの著作『絵画論』には非常に示唆的な一節が記されている。この著作は、《聖マルコの遺体の救出》の制作を前後して、ヴェネツィアで2回つまり1547年、68年にイタリア語版で出版されている(注7)。もともと1435年にラテン語で著されたが、翌36年にイタリア語に翻訳され、いくつかの写本が制作された。しかし、刊本としてはラテン語版が1540年にバーゼルで出版されたのが最初であり、16世紀中頃になってこの技術書がいよいよアクチュアルなものとなっていたことは想像に難くない。この著作がわずかながら実作品に言及するひとつとして、メレアグロスの浮彫がある。ローマではある物語的浮彫が賞賛されている。そこでは死せるメレアグロスが運ばれていて運ぶ者達にはその体重が十分にかかっている。その手足すべてが本当に死んでいるかのようである。手も指も頭もすべての部分が垂れ下がっている。すべてが弱々しく垂れ下がっている。こういったことが一つの死せる体を表現す

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