鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―99―ることに寄与しているのであるが、こうしたことは本当に難しいことなのだ。それゆえ一つの体にあるすべての手足をだらりとした状態で描く術を知る者は、最高の職人となるであろう。それゆえあらゆる絵画において、それぞれの手足がどんなに小さなところでもその役割を果たすよう注意することができれば、手足はだらりとするだろう。死んでいる手足は爪の先まで死んでいるものであろうし、生きているそれはほんの小さなところでも生きているものであろう。(下線強調筆者)(注8)アルベルティは、この一節において、死体の表現が難しいこと、そしてそれを知る者が「最高の職人」となりえることを述べている。サルヴァトール・セッティスは、この一節に関する近年の論考で、アルベルティがローマで参照しえた「メレアグロスの遺体の運搬」を特定することはできないと述べている(注9)。しかし、形の類似性から、ティントレットが参照したであろう《メレアグロスの遺体の運搬》は、現在カピトリーニ美術館に収蔵されているものと非常によく似たものであったと考えられる。ここで、当時の芸術観のひとつであるデコールムにふれておきたい。デコールムとは、死体を死体らしくというように、描く対象にふさわしい表現を与えることをいう。こうしたデコールム観の一典型として、ダンテの『神曲』煉獄篇第12歌67節「死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとくmorti gli morti, e’vivi parean vivi.」が同時代の美術理論にたびたび引用されたことに注目したい。この金言を引用したベネデット・ヴァルキは、絵画と彫刻のパラゴーネについて論じた『講義』(1546年)の第3章「詩人と画家の類似と相違について」のなかで、ミケランジェロの彫刻《ピエタ》〔図7〕に関し次のように記している。「いったい彼のピエタを目にする者で、この大理石に鋭くもまた真なるあの一節を認めない者がいるのだろうか。(中略)死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとく」(注10)。さらにヴァルキはミケランジェロの追悼式(1564年)の弔辞のなかで次のようにも述べている。「これらの二つの像は、一つが(悲嘆の極みにあるとはいえ)生ける者を表し、そしていま一つが死せる者を表している。そしてそのそれぞれが生ける者でありまた死せる者である(注11)」。以上のように、ヴァルキはことさらに《ピエタ》に「生」と「死」の対比を強調している。さらに、この《ピエタ》について、ヴァザーリは『美術家列伝』のなかで「そこにある美しいもののなかで、その神聖な布地を含めて、死せるキリストの姿自身が目につく。(中略)これほど死そのものと

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