鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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)中国における樹下人物図屏風試論Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告―1―1.2007年助成――6〜10世紀の墓葬壁画を中心として――研 究 者:中国文化遺産研究院 助理研究員  王   元 林屏風は古代中国の貴族の日常生活に欠かせないものであり、現在に至るまで樹下人物図屏風の作例は、南北朝時代から隋唐時代或いは6〜10世紀における墓葬壁画によく見られる。本論では、この時代における樹下人物図屏風の歴史的概観を辿って、樹下老人・美人という画題に注目し、その趣向と深意ないし源流などの模索を試みたい。一 南北朝時期南北朝時代は中国絵画が芸術として確立した時期であった。近年、南北朝時代の陵墓などから出土した絵画資料に、注目する必要がある。屏風画の場合は、河南省洛陽市出土の石棺床囲屏の線刻画は辟邪を目的に四神や怪獣と当時の風俗図を描き、山西省大同市司馬金竜墓の漆絵屏風や寧夏回族自治区固原県北魏墓の漆棺は勧戒を目的とした孝子図や列女図を描いている。これらを見ると、いかに漢代以来の伝統の力が根強かったか改めて認識させられる。しかし一方で、この時代ならではの新要素も見受けられる。北周以降の墓室壁画にも屏風式のものが多い。山東済南市東八里窪にある北斉時代の墓葬(注1)から出土した三足八曲の樹下人物図屏風壁画〔図1〕、山東臨A海浮山にある北斉時代の崔芬墓(注2)から出土した十七扇の高逸(鑑戒図)・人物鞍馬・樹石図屏風、山東済南市馬家荘北斉武平2年(571)の祝阿県令□道貴墓から出土した石砌単室の墓室北壁に描かれた墓主像などには、九曲の山巒流雲図屏風などの新題材が登場し、当時の風俗を反映し、山東地域の北斉壁画墓の地方的特徴も示している。八里窪北朝壁画墓の墓室にみられる4牒の酔客屏風画は、崔芬墓と同じように、現時点で主人公の身元が特定できなく、一般的な名士図とせざるを得ない。また江蘇省南京西善橋南朝大墓に発見された「竹林七賢と栄啓期」の「高逸図」磚画は、樹木を画面の区切りにした、(一)概観

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