鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―100―いった死体が見られようとは思われない」と記しているばかりでなく、「この傑作により彼は非常な名声を得た(下線強調筆者)」と伝えている(注12)。ルドヴィコ・ドルチェはその芸術論『アレティーノの絵画問答』(1557年)のなかで、対話者の一人アレティーノに「そしてダンテは画家の完全なるすばらしさについて次の一節でうまく説明しています。死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとく(下線強調筆者)」と言わせている(注13)。これらの記述(アルベルティ、ヴァルキ、ヴァザーリ、ドルチェ)から、16世紀の中ごろにおいて、死んでいるものは死んでいるように、生きているものは生きているように表現することが、芸術家の卓越した技量に深く関わるものであったことがわかる。この当時のデコールム観に照らし合わせれば、遺体を運搬する図像は芸術家のデコールム的な技量を明示する格好の図像であったと考えられる。こうした当時の文脈を考慮すれば、ティントレットが《聖マルコの遺体の救出》の制作にあたり、その図像的典拠がわかるように先述の古代浮彫を借用した理由は、自らを「最高の職人」として示すことにあったと考えられる。4.おわりに本報告では、ルネサンス期に絵画の神としてみなされていた古代の画聖アペレスと同様の署名をティントレットが1565年に残していることに注目して論を展開してきた。彼が同時期に制作した《聖マルコの遺体の救出》に描かれた遺体を運搬する一群が、古代浮彫《メレアグロスの遺体の運搬》を借用したものであることを指摘した。この古代浮彫に言及したアルベルティの『絵画論』の一節に「一つの体にあるすべての手足をだらりとした状態で描く術を知る者は、最高の職人となるであろう」とあることや、ダンテの「死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとく」がデコールム的金言として同時代の美術理論にたびたび引用され、それが「画家の完全なるすばらしさ」や「名声」に密接に関わるものであったことから、ティントレットは、「絵画の神」「最高の職人」などと高く評価されるであろう表現形式、すなわち社会が芸術家に期待した表現形式を、取り入れながら制作を行っていたと考えられる。《聖マルコの遺体の救出》のほかにも美術理論が造形上の典拠となったと考えられる作例として、たとえば《トゥールーズの聖ルイと聖ゲオルギウスと王女》(1553年頃)〔図8〕を挙げることができる。画中の聖ゲオルギウスが見につける黒く磨き上げられた甲冑には、王女の姿が短縮法で映っている〔図9〕。画中に鏡などに映った像を用いることで二次元的な絵画に立体性を導入する手法についての記述は、特に彫

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