鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―2―(二)崔芬墓の屏風絵をめぐって〔図3〕、西壁に四牒、全部で十七牒である(注4)。屏風画に近い単幅の人物絵である〔図2〕。「竹林七賢と栄啓期」の「高逸図」は、構図上、一人と一樹との画面形式からみて、その粉本は屏風絵画の影響をうけているかもしれない。また南北朝時代にはこのような屏風画の構図形式と画面題材が広く流行している。南朝と北朝の影響関係もあちこちに散見された。また、隋唐時代における墳墓壁画の樹下人物図屏風の様式は南北朝時代の流儀を示唆している(注3)。北斉天保2年(551)崔芬墓の図像構成において、もっとも重要な特徴は壁面の屏風化である。屏風画は墓室壁面の下部に配し、南壁に二牒、北壁に四牒、東壁に七牒崔芬墓の発掘報告書は、その人物屏風壁画を竹林七賢と栄啓期と推定した。しかし、果してこれらの屏風画に描かれた人物が竹林七賢と栄啓期と特定できるかどうか、蘇哲氏と林聖智氏はさまざまな文献記録の資料を用いて現存する南朝時代の竹林七賢と栄啓期磚画(注5)と崔芬墓屏風画人物の造型特徴などを検討すると、崔芬墓人物屏風画は、竹林七賢と栄啓期図であることが特定できないと推定する(注6)。その性格については、被葬者生前の生活様式に深く関わっている点から、崔芬の日常の生活風景を屏風壁画にした可能性も十分に考えられる。言うまでもなく、寄せ集めた説話図である可能性もないとは言えない(注7)。その内容の解明は将来の研究を期待しておきたい。また、崔芬墓の屏風画から見ると、北朝時代の墓葬に見られる屏風の表現、或いは墓室壁面の屏風化と、自然の空間を示しながら、その新しい墓室の空間を規定する方法は、唐代においても継承され、後の墓葬図像に大きな影響を与えている。これにより、屏風画に新しい可能性が開かれ、唐代以降の屏風画の発展のもととなった。注目すべきところは、唐代壁画墓の屏風画に関する主題には、樹下美人、樹下老人、山水図、花鳥図などが挙げられ、いずれも自然空間の表現、また自然への憧れに関わるものである。また、唐代の樹下宴遊図の多くが屏風画として描かれている。北朝以降の墓室の屏風画の発展から見ると、屏風画の主題はいずれも自然に対する親しみの表現と関わっていることがわかる。

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