―111―あたって参考資料として利用されたものであろう〔図9〕。■「仁木弾正」〔図10〕「伽羅先代萩」のうち仁木弾正を描いた場。下絵ながら非常に巧妙に描かれており、立体物である人形を制作する技術に加え、絵画の修養も積んでいたことがうかがえる一枚である。顔の表情や衣紋線は浮世絵的で、特に歌川派風の特徴が顕著に看取できる。口に巻物をくわえた仁木弾正の立ち姿は、役者絵として歌川国芳らも描いており、こうした浮世絵の筆法や画風を学習し、構図なども参考にしていたことを、前述の日清戦争下絵〔図8〕の事例と同様に、裏付けることができる。菊人形の頭について菊人形において、人形師が実際に制作するのは頭と手足である。これらは恒久的な保存を目的に制作されるのではなく、毎年の興行で手直しをして繰り返し使われる消耗品であり、制作者の署名や刻印を入れる「作品」として制作されるものでもないため、残存率は低い。こうした不利な状況下でも、団子坂菊人形時代の山本福松作と伝えられる頭が現存している。いずれも素地は木材で、彫刻のあと胡粉が上塗りされ、髪や髭は人毛、玉眼がはめ込まれ、写実的に作られている。山本の人形は尖った耳が特徴であり、面長に作られているものが多く、これらの頭もその特徴をよく示している。尾上菊五郎〔図11〕植梅で使用された頭。歌舞伎役者・五代目尾上菊五郎の晩年に近い姿(明治37年没)と思われるが、当時の写真と比べてもよく似せて作られていることがわかる。菊人形制作の参考にするため、山本が東京座や宮戸座へ芝居見物に出かけた旨を記した葉書もあり(注20)、写実へのこだわりが窺える。安本亀八に至っては、自ら俳優宅へ通い、木型を造って似顔をとっていたという逸話も伝わっている(注21)。 福島少将〔図12〕首のすげ口の墨書および肖像写真との比較により、陸軍軍人・福島安正が、少将として従軍した北辰事変(明治33年)を題材とした菊人形と推定される。こうした戦争関係の出し物においても、実在の人物に似せた写実的な人形を制作していた。■神功皇后〔図13〕同じ神功皇后を描いた下絵〔図14〕と比較すると、その絵画的な表現に対し、頭は写実的な人間同様の姿に仕上げられている。頭制作において下絵はあくまでもイメージであり、完成品を想定したものではなかった。
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