鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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■先行研究に、土居郁雄「活人形師 山本福松について」『芸能懇話』7大阪芸能懇話会,1993■以下「浅井家資料」という。文京ふるさと歴史館所蔵。内容は土地、税金、軍事、家業(植木・菊人形)等に関する古文書類、冊子類(園芸書・漢籍等)、古書画等、明治〜昭和にかけての資料。詳細は『文京ふるさと歴史館年報』第8号,2004年、同第9号,2005年、および平野恵「浅井家蔵書から見た明治年間における東京団子坂の植木屋の特色」(同第9号,50〜59頁)、平野恵「植木屋の、植木屋による、植木屋のための本」『彷書月刊』第24巻3号,彷徨社,2008年参照。 「ひとがた・カラクリ・ロボット展」O美術館,1996年、特別展「盛り場―祭り・見世物・大道芸―」名古屋市博物館,2002年、特別展「大見世物〜江戸・明治の庶民娯楽〜」たばこと塩の博物館,2003年、「生人形と松本喜三郎」熊本市現代美術館他,2004年、特別陳列「江戸の見世物」東京国立博物館,2005年、「生人形と江戸の欲望」熊本市現代美術館,2006年など。■子孫からの聞き取り、注■、土居郁雄「活人形史・その光芒」『ひとがた・カラクリ・ロボット展』O美術館,1996年,19・84頁、竹日忠芳『人形今昔』北辰堂,1997年,80〜82頁による。■「山本福松より植木屋宗次郎宛書簡」明治41年4月13日付(浅井家資料04−019−0724)によると、■大木透『名匠 松本喜三郎』(復刻)熊本市現代美術館,2004年,116頁■『生人形と松本喜三郎』熊本市現代美術館他,2004年,168・185頁 年代は付属の包紙による。文書本体は年のみの記載(月日は空白)、横山七五郎以下3人の押印もあるが、筆跡等によりこの文書は控え、あるいは下書きと推定。原資料は個人蔵。『読売新聞』1878年11月16日 引用の括弧内は筆者による。菊人形については、『菊人形今昔―団子坂に花開いた秋の風物詩―』文京ふるさと歴史館,注『菊人形今昔―団子坂に花開いた秋の風物詩―』22頁冨森盛一『生人形師 安本亀八』赤目出版会,1976年,37・135頁山本笑月『明治世相百話』中公文庫,1983年,184〜185頁(初出は第一書房,1936年)この時期の動向については、『読売新聞』掲載の菊人形関係記事、興行の引札、浅井家資料な『趣味』第1巻第5号,彩雲閣,1906年,55〜74頁 引用中の括弧内補足は筆者による。「菊人形下絵、見積書及び山本福松書簡綴」年不明7月29日付(浅井家資料04−019−0870)下絵について言及した書簡・葉書類は、「山本より植木屋宗二郎宛葉書」明治35年6月22日付(浅井家資料04−019−0203)、「山本福松より植宗宛書簡」年不明9月2日付(浅井家資料04−019−0383)など。 岡本史雄氏(五代目面六)のご教示による。初代面六は団子坂菊人形に携わり、岡本氏は台東■この書籍『DRAMA OF FORTY SEVEN RONINS』は、「忠臣蔵」の関係史跡・歌舞伎の写真集 〔図5〕および「山本より植木屋宗二郎宛葉書」明治41年9月23日付(浅井家資料04−019−■注に同じ。―113―2002年および川井ゆう『菊人形ガイドブック』ふみづき舎,1999年ほかを参照。0364)という見世物』平凡社,1993年、川添裕『江戸の見世物』岩波新書,2000年、川添・木下・橋爪紳也『別冊太陽123見世物はおもしろい』平凡社,2003年ほか。年、80〜83頁がある。(東京市浅草区)浅草公園六区2号21番地とある。どによる。区谷中で人形師の仕事を継承している。(英文)であるが、最後の本図のみ菊人形の写真が掲載されている。

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