鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―118―タイルや主題を器用に描き分けていることであろう。子供向けの挿絵では、エピナル版画風に人物の姿がデフォルメされ大雑把で大胆な線でとらえられているのに対して、雑誌に掲載されたものは細かい線が積み重ねられことによって、相貌の性格が緻密に描写されている。まず『現代生活』、『黒猫』、『のらくらおじさん』に掲載された図版を比較しよう。『現代生活』では、現代人の姿が、細かい線で描写されている〔図1〕。1888年の作例は、戯画展覧会の様子が描かれているが、細い線を積み重ねることによって、展示作品をのぞき込む中産階級の群衆の姿が捉えられている。それに対して、《村民の類型》〔図2〕では、人物の様々な側面を、帽子やひげ、恰幅や姿勢によって人物の性格を描いているのである。このように、リュシアンの戯画では、19世紀初頭に流行した観相学より、さらに類型が細分化される様々なタイプの無名の人々のタブローが提示されている。たとえば、1888年の別の作例〔図3〕では、中央に催眠術師の姿が描かれ、そのまわりに催眠術にかけられた人々のゆがんだ表情が描かれている。こうした作例は、世紀末のカリカチュアとシャルコーやポール・リシェによる精神医学の観察とが並行していたことを例証している(注3)。『現代生活』では、科学的な観察の方法によって正確に様々な類型の相貌が捉えられているのに対して、『黒猫』に描かれた図版には、より素朴でユーモラスな物語性が付け加えられている。『黒猫』には多くの風刺画家が参加し、黒い野良猫が縦横無尽に駆けめぐるコミカルな漫画をはじめとして様々な漫画が掲載されたが、《フランスのイギリス人》〔図4〕と題された作例では、子供から中年まで、典型的な人物の特徴が描かれている。ここでは、人物は簡潔な省略された線で横顔か正面から描かれ、表情の観相学的な精密さよりも、衣服や物腰が強調されている。そして、絵の回りには、比較的長いキャプションによって人物の説明が加えられている。別の作例《田舎の純愛》〔図5〕では、一切台詞は描かれていないが、六コマの場面は若い農婦と農夫の報われない恋物語になっている。一コマ目の、左の画面手前には農婦がおり、中景に彼女を眼差す若い農夫、そして後景には杖をついたせむしの老人がいる。ここでは、文章と同じく、左から右へ、前景から後景へと絵を読む方向が明確に定められ、前景・中景・後景にそれぞれの視線をつなぐように三人の登場人物が配置されたダイナミックな構図は映画的である。二段目のコマでは、視点が農夫の立っていた場所へと変わり、あたかも映画の場面転換のように、空間の連続性が意識されつつ物語の時間的展開がなされている。中央のコマに描かれる、田舎の牧歌的な結婚に見える光景は、前後のコマを辿ることによって、報われない悲恋と後の惨劇につながっている。

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