鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―3―(一)紙・絹画屏風と鳥毛立女屏風(二)樹下人物図屏風壁画二 隋唐時代東京国立博物館に収蔵されている伝新彊トルファン・アスターナ墳墓出土の樹下人物図(八世紀、1面、紙本着色、138.6×53.2cm)は厚手の紙を貼り合わせてパネル状に仕立て、屏風のように(おそらく6枚一組)立て回した墓内装飾の一部で、日本の正倉院に所蔵される紙本着色の6曲「鳥毛立女屏風」(注8)とその源泉を等しくするものである。第三次大谷探検隊が将来した樹下美人図(注9)(八世紀、1面、紙本着色、139.1×53.1cm、MOA美術館蔵)は、先の「樹下人物図」とともに、茶色の枠取りに樹下人物と石を配する図柄は、近年中国で発掘される八〜九世紀の古墳壁画にみられ、当時流行の構成とみられている。色彩の施し方や線描は非常に素朴かつ自由で、当時唐朝本土よりの影響を受けたトルファン地域の画風を伝えている。女性の衣装・髪型やかんざしの挿し方、更に化粧法などは八世紀盛唐期の風俗を反映している。唐時代の紙本の遺品が現存するのは極めて貴重である。また、新彊地区のトルファン・アスターナの唐墓から出土した絵画は、中国中原の中心的文化が辺境の地に浸透していたことを物語っている。アスターナ古墳群から出土した絹本絵画の樹下美人図もある(注10)〔図4〕。この作品は、残っている三扇の様子から見れば、もともと多扇の樹下美人図屏風と推定できる。樹下に人物を描く図は、インドの樹下に女性を配する図様に起源をもつといわれ、中国唐代に流行した様式で、この美人図に描かれた婦人も、典型的な唐美人の容貌をもち、髪形や服装・化粧なども唐代の風俗を表している。それは、日本の高松塚古墳の壁画の美人や、正倉院「鳥毛立女屏風」の美人を彷彿とさせるような壁画で、唐の文化圏だったトルファンと日本の共通性を感じさせる。屏風式樹下人物壁画は六朝から中晩唐に至り、人物の表情や姿勢などがしだいに変化していったが、人物が樹下で行動するという基本的なジャンルは続いてきたのである。樹下に孝子、賢人、忠臣、義士、烈女、高士、逸士、美人、菩薩、天王などの人物がそれぞれ描かれている。現在までに公刊された十四点余りの唐墓壁画の樹下人物図屏風が知られているが、その図様は大きく次の二つに分類されている。1、樹下美人図樹下美人図屏風は樹下仕女図屏風また樹下貴婦図屏風とも呼ばれている。このような人物図屏風は、当時の人物活動の現実情況がよく反映されている。現在までに発見

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