鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―120―ピサロとともに、エラニー・プレスを設立したのである(注4)。エラニー・プレスによる出版物の制作において、作品の生産はピサロ一家によって手がけられている。リュシアンは父カミーユとともに出版物の計画を練り、1890年から《畑仕事》〔図8〕と名付けられた一連の連作を行っていた。これは、ジャポニスムや北斎漫画に影響を受けたもので、農村労働における日常的な身振りを描く連作になっている。この一部は、ヴェイル・プレスから25部程のコピーが出版されたが、商業的な成功とは程遠かった。そして、自らが暮らし制作をしていたフランスの田舎町の名にちなんで、自立した出版社の運営を始めることになる〔図9〕。父子の共同作業とともに、妻エステルも、木版の制作や、表紙装飾のデザインを行うために重要な役割を果たした〔図10〕。こうしてエラニー・プレスは、英仏の芸術とを繋ぐ橋渡しの役割が企図されていたといえる。これらは、制作に入念な準備を必要としたのにもかかわらず、100から250ほどの部数しか印刷されなかったため、画家の厳しい財政を助けることはできなかったが、一部の特にフランスのコレクターに好評を博した。エラニー・プレスの最初の出版物は、ジェラール・ド・ネルヴァルによる『魚の女王』〔図11〕であり、エステルの友人マーガレット・ラストの英訳がオリジナルのタイポグラフィで印刷され、白黒の本文のなかに、多色刷りされた数ページが挿入されている。これらの挿絵は、カミーユの原画を基にリュシアン夫妻が、版画に仕上げていった。カラー・ページでは、額縁のように金色の模様の装飾が施され、その画面半分ほどを挿絵が占め、本文と組み合わされている。そして、挿絵には、赤、黄、緑、青の色彩が細かい線画とともに重ね刷りされている。ピサロ一家はこれを、同時代の多色刷り印刷に用いられた網点による色彩の分割を避けている。「水の精」が着る衣服のストライプや、草花、水の波紋によるかたちや線の反復のなかに、異なる線や色面が配置されることによって、新印象主義的な点描技法ではなく、描線が積み重ねられることによってリズムが生み出される印象主義的な効果が狙われてる。この最初の出版物においてすでに、英仏の芸術の傾向を混淆させるという意図が明確になっている。仏の作家の小説が英国人読者に紹介され、装飾やレイアウトのスタイルは英国の傾向に影響を受けながらも、その作画や色彩感覚は、フランス印象主義の傾向を留めているのである。実際、エラニー・プレスの出版物のリストを眺めてみれば、仏語と英語の著作がほぼ同数出版されていることがわかる(注5)。仏語のものは、シャルル・ペローの寓話、フローベールの『三つのコント』〔図12〕やジュール・ラフォルグ『伝説教訓集』、英語のものは、キーツの詩集やコールリッジの『クビ・カーン』、ロバート・ブラウ

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