―122―詞から引き出されるであろうと述べる。3 美しい本の理念リュシアン自身はこうした書物の出版に関してどのような思いを抱いていたのだろうか。エラニー・プレスに関する短い説明におさめられた「芸術作品としての印刷本と生の関係に関する覚え書き」に触れておこう。彼は、美しい本が希少本となり、それがコレクターだけに愛好されることに対しては、むしろ批判的である。もはや、美しく印刷された本を擁護する必要はない。なぜなら、その値段は定着し、コレクターがその希少性をほめているからだ。…軽率と急速は、繊細、弁別、瞑想、洗練の致命的な敵である。モーターの時代において、芸術は無数の敵をもっており、われわれの生活環境は、美に敵対しているのである。…ため息をつく暇ももたないほど、われわれの生活は貧窮している。そして、両手に時間がある人々は、しばしば、仕事を改善するために企図された訓練、自分で改善した仕事―これらは、慈善事業や公共の精神、そして科学、芸術の資格さえ喜んで与えられるのだが―において、機械の奴隷達に張り合うことができるときに最も満足するのだ(注7)。リュシアン・ピサロは機械の時代に求められるスピードや効率性が、若い人々に多くの選択肢を与えながらも、散在や無駄が多いことを危惧している。それに対して、美しい本のもつ希少性は、読者が、的確に感情と道徳を学ぶために擁護されなければならない。我々が、すべてをもって生きることができると考えるのは虚栄である。それぞれの好みは異なる幅をもち、すべての欲望は限られている。食べ物と同じく知識や情動もそうなのだ。書物と友人は選ばれなければならない。ここに、経費に不平をいう人に対する答えがある。賢い人は、本当に価値のあるものを買うために、持っているものををすべて売るのである。この結果は、自己訓練によって達成され、響きは、芸術家の丹精や、天賦の才によって成されるのであり、これが美なのである。この二つの美は独立していないし、どちらかを失わなければ可能だというわけでもない。というのも、眼が餓えれば精神が貧困になるからである(注8)。
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