鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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タートとF. T. マリネッティ―128――「第二未来派」の活動についての考察―研 究 者:千葉大学大学院 社会文化科学研究科 博士課程  太 田 岳 人1909年、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(1876−1944)が『フィガロ』紙に発表した「未来派創立宣言」によって開始された未来派運動は、機械・ダイナミズム・速度といった現代文明が生み出した要素を強く肯定し、狭い意味での美術の枠を越えてあらゆる文化領域への浸透を試みた、20世紀最初のアヴァンギャルド運動として知られている。報告者は、その30年以上にわたる活動の中でも特に、1920年代以降に展開された「第二未来派(secondo futurismo)」と現在呼ばれている潮流の活動についての調査を進めてきた(注1)。本報告は、両大戦間期のイタリアにおける新世代の未来派の代表的な写真家・画家として活躍したタート(Tato, 本名Guglielmo Sansoni、1896−1974)〔図1〕を中心に、彼とマリネッティの関係、また彼の作品の芸術的・社会的性格を取り上げ、「第二未来派」の形成およびその活動の特質の一面について考察することを目的としている(注2)。1)1910年代末の未来派「未来派創立宣言」に始まる未来派運動の最初の転機となったのは、1914年に勃発した第一次世界大戦であった。「創立宣言」の中で戦争を「世界の唯一の衛生法」と呼んだ彼らは、当初中立を宣言したイタリア政府の姿勢に猛烈な反対アピールを展開し、翌年イタリアが世界大戦に参加する事になると、実際に彼らは従軍していった。マリネッティは自転車部隊に所属し断続的に戦闘へ参加するかたわら、戦争に想を得た作品の執筆や『未来派のイタリア(L’Italia futurista)』といった新雑誌の運営を行った。さらに彼は、戦場からイタリア政治の現状を省み、特に国家を運営していた保守的な自由主義政治家たちへの反発を先鋭化させる中で、自らの転覆的な芸術精神と政治活動を統合する事に関心を強めた。彼は大戦中突撃隊に所属していたマリオ・カルリ(1889−1935)らの協力を得て、未来派を政治的対抗運動としてのアナキズムやサンディカリズム、そしてファシズムに接近させて行った(注3)。いまだ戦争が続く1918年2月に『未来派のイタリア』に掲載された「イタリア未来派党宣言」は、未来派的精神の称揚に加え、国粋主義と社会主義の両要素を混然とさせた一定の政治的なプログラムを盛り込んだものであった(注4)。このような未来派の政治的領域への積極的進出は、ファシスト勢力のリストでマリネッティが出馬した1919年選挙の

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