鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―4―された唐壁画墓の仕女図屏風が数点余り知られている。咸亨元年(670)李勣(徐懋功)墓(注11)、咸亨2年(671)燕妃墓(注12)、垂拱2年(686)元師奨墓、景雲元年(710)節愍太子李重俊墓、開元15年(727)李h夫婦合葬墓(注13)、開元15年(727)韋慎名墓(注14)、韋氏墓などが好例である。これについても次の例を挙げて簡単に触れておこう。咸亨元年(670)の李勣墓には、墓室の北壁西段と西壁北段に、各三扇の樹下仕女図屏風が残存している。この初唐時代の墓室屏風は、棺床の背障として立っていて、人間の居室床榻囲屏を模倣している。1987年に長安県南里王村で発掘された唐代の韋一族の墓室(天宝年間・八世紀後半)から出土した六曲屏風式仕女遊春図壁画〔図5〕は、小規模の単磚室墓に墓室西壁棺床の上部に六枚連屏を描いており、六曲それぞれ独立した画面に成っているが、互いに関連しているようである(注15)。この「仕女図」は、樹下で寛ぐ下膨れ顔の豊満な美女六人が屏風絵的形式で描かれ、唐三彩の女俑や石棺槨の線刻仕女図に通じる典型的な唐中期の美人図となっている。このような樹下にたたずむ女性を描くモチーフが、正倉院「鳥毛立女屏風」のルーツと繋がる点でも重要な絵画作品といえるだろう。この屏風画は、節愍太子墓西壁の樹下美人図屏風の様子とほぼ同じである。1995年に富平県宮里郷南陵村で発掘された景雲元年(710)の節愍太子墓の後室から「樹下貴婦人」屏風図が発見され、西壁に六枚、南北壁の両側に各三枚屏風が描かれており、合わせて十二枚連屏で石棺の南、西、北三面に囲まれている。壁画は剥落がひどい。北壁の三枚、西壁六枚のうち三枚に「樹下貴婦人」の画面が見られ、南北壁の両側から上部に描かれた屏風に枠及び水渦文が見られる(注16)。2002年に発見された開元15年(727)韋慎名墓の墓室西壁には、六扇の鞍馬仕女図屏風が描かれている。墨線と墨点で、枠を表して、屏面中、残っている部分から見ると、樹下に仕女らは馬に乗って南向あるいは墓門へ向かって出遊している様子がよく分かる。東壁に残っている右上角の部分には樹下仕女の様子を見られるが、西壁の樹下鞍馬仕女図屏風と同じ構図かどうか不明である。このような樹下鞍馬仕女図屏風の盛唐時期における墓室壁画は、非常に珍しいものと言われる。2、樹下老人図現在に至るまで発見された唐代墓室壁画の中で、十二基余り樹下老人図あるいは樹下褒衣人物図という屏風画がある。陝西省西安、山西省太原を中心に発見された墳墓壁画の中では、樹下老人あるいは樹下高士という屏風画の画題はけっして少なくはな

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