―131―11日の日付がついているが、完成版が発表されたのは翌年1月)、写真の分野における未来派の再活性化を1930年代にわたって試みた(注7)。さらにタートは同時に、未来派の新しい理念「航空絵画(aeropittura)」の推進者の一人でもあった。未来派はその初期から機械崇拝を通じた速度・ダイナミズム・同時性の表現を重視していたものの、近代文明の最も輝かしい産物である飛行機に霊感を受ける事の称揚、実際の飛行体験が人間の知覚にもたらす心身の変容の感覚への注目を掲げた「未来派航空絵画宣言」が、タートを含めた当時の未来派の中心メンバー9人の署名とともに1931年10月に発表されて以降、「航空」に関連するイメージの創造は、1944年のマリネッティの死による未来派運動の終焉まで続く新たな「第二未来派」の目標となった(注8)。タートは「航空絵画宣言」以前から、当時西欧の大衆社会でブームが広がりつつあった飛行機レースを題材に《ヴェネツィア、シュナイダー杯》〔図5〕のような作品を描いているが、30年代以降の「航空絵画」においては、同時期の彼の写真における表現とも通じる手法を用いつつ、現実の飛行行為がもたらした新しいパースペクティヴやダイナミズムの描写・称揚を行っている。例えば《コロッセオ上空の旋回飛行(旋回)》〔図6〕の、古代を象徴する不動のモニュメントであるコロッセオの上を飛行機が速度の渦を生み出しつつ旋回飛行する姿は、「航空絵画宣言」での「航空的パースペクティヴ」とともに、「未来派写真」で提唱された「運動するものと不動のもののドラマ」についての言及を思い起こさせる。他にも、《我関せず空を行く》〔図7〕や《プロペラの悪戯》〔図8〕に見られる大胆で迫力あるコンポジションも、飛行機というオブジェ、ひいてはそれを奉じる未来派自身の力の、神話的なまでの雄大さを示すものである。マリネッティは1930年代後半、「航空絵画宣言」に基づいて生まれた「第二未来派」の様々な絵画作品の性格を、「成層圏的・宇宙的・生化学的」なもの、「根源的に神秘的・上昇的・象徴的」なもの、「変容的・抒情的・空間的」なもの、そして「高きからかつ速度の内から見られた風景や都市についての、綜合的・ドキュメンタリー的・力学的」なものという4つのタイプに分けて整理し、最後のタイプを精力的に生み出す未来派の代表格としてタートを挙げている。彼は1939年の第3回ローマ・トリエンナーレのカタログにおいて、タートを「航空絵画の課題の一つを解決している」と称賛した(注9)。未来派は、グループによる出展という形ですでに1926年からヴェネツィア・ビエンナーレに参加していたが、1930年代に入ってからは、31年に開設されたローマ・クワドリエンナーレなどの公的展覧会への進出をより活発化させた。その中でタートは、
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