鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注「第二未来派」というタームの定着については、Guido Bartorelli, Numeri Innamorati: sintesi e タートの基本的な事跡については、Ezio Godoli(a cura di), Dizionario del Futurismo, Valsecchi,Firenze: 2001, volume 2., pp. 1022−1025を参照(見出しは本名の「Sansoni」)。また、1930年代の「航空絵画」を中心としたタートの回顧展カタログとして、Salvatore Ventura(a cura di),L’Aeropittura futurista Tato e le vere origini del Manifesto dell’Aeropittura, Roma: Galleria 5−55, 1991がある。ただし、後述するようなファシズムと芸術家との関連についてはほとんど触れていない。■Claudia Salaris, Marinetti: arte e vita futurista, Roma: Riuniti, 1997, pp. 160−211. 政治史研究の観点からは、藤岡寛己『原初的ファシズムの誕生―イタリア戦闘ファッシの形成』(お茶の水書房、2007年)がある。■Filippo Tommaso Marinetti, “Manifesto del partito futurista italiano”, in Luciano De Maria(a cura di),■Filippo Tommaso Marinetti, Tato, “La fotografia futurista”, in De Maria(a cura di), op.cit., pp. 195−■「航空絵画宣言」の内容自体は1929年9月の時点で、「飛行のパースペクティヴと航空絵画」という題名で、マリネッティ単独の署名で発表されていた。テキストの成立過程については、―134―197.で創作活動を続けたものの、彼がかつて属していた未来派グループとファシズム体制の消滅以降は、明らかに精彩を欠いていったように思われる。彼に大きく影響を受けた一人であり、第二次世界大戦期の「戦争の航空絵画家」の中で最も傑出していた一人であるトゥリオ・クラーリ(1910−2000)は、晩年の著書において、交際のあった未来派の仲間たちを回想しているが、そこには後年のタートが若き日の颯爽とした姿と対比され、以下のように描かれている。外国で13年を過ごし、イタリアに帰った私は、スペイン広場における君の展覧会を訪れた。画廊で私を奥の間へと案内したのは、いらついて疲れた声だった。肩越しに見る君は、車椅子に座り、片足は切断され、孤独と無力感で憔悴していた。私は君のそばに近づく勇気が持てなかった。君の状況と私の健康との対比が、君には愉快でなく不快となり、ほとんど無意識のうちに侮辱になるという恐れが私をすくませ、沈黙のうちに外へと連れ出した。悲しくてこんな現実を認められなかった(注15)。dinamiche del secondo futurismo,Torino: Testo & Immagine, 2001を参照。Teoria e Invenzione Futurista, Milano: Mondadori, 1983(1st. ed. 1968), pp. 153−158.■Tato, Tato racconTato da Tato, 20anni di futurismo, Milano: Zucchi, 1941, pp. 27−28.■未来派の写真作品を、主に外国のアヴァンギャルドの動向と関連させて取り上げた研究として、Giovanni Lista, Cinema e fotografia futurista, Milano: Skira, 2001(特に133頁以降)がある。ただしリスタは《完全なるブルジョワジー》などの創意については、むしろ形而上絵画とのつながりという点を強調している。p. 240.

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