鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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高野山根本大塔の外部荘厳に関する研究A高野山地蔵院蔵「高野大師行状図画」(原本は鎌倉時代。室町時代模写。以B京都国立博物館蔵「高野山水屏風」(鎌倉時代。以下山水屏風と称す)―139――建築荘厳具としての絃楽器―研 究 者:早稲田大学総合研究機構日本宗教文化研究所 客員研究員  はじめに高野山の壇上伽藍に建つ根本大塔(以下大塔と称す)は、一山の中心的シンボルである。それゆえ、高野山にまつわる絵画史料には、必ずと言ってよいほど描かれている。そこに描かれた図像は、焼失と再建を繰り返した大塔の外観を知る上で、文書史料の不足を補うものとして貴重である。とくに鎌倉時代から江戸時代にかけて成立した複数の絵画史料に見る大塔には、軒下の荘厳として、風鐸とともにコト形の絃楽器がブランコ状に吊られているのが注目される。なぜなら、そこに、わが国においては、奈良時代に始まり現在では失われてしまった絃楽器による荘厳の伝統が確認されるからである。大塔を荘厳する絃楽器については、従来研究がなく不明のままである。しかしながら、在外作品を含めたこれら大塔の図像を注意して分析してみると、その存在や形態についてかなり具体的に把握することができそうである。さらには、奈良時代からの伝統が当時まで如何に伝わっていたかということも理解できそうである。本稿は、以上についての基礎的な研究報告である。一、絃楽器による荘厳を描く高野山関連の絵画史料絵巻物、屏風、参詣曼荼羅という形態の異なる高野山関連の絵画作品において、とくに鎌倉時代から江戸時代にかけての作品に、大塔の荘厳として絃楽器が描き込まれている。具体的には、次の五つの作品において、そうである。下行状図画と称す)Cハーバード大学サックラー美術館蔵「高野山参詣曼荼羅」(室町時代後期。以下サックラー本と称す)D兵庫・成相寺蔵「高野山参詣曼荼羅」(室町時代後期。以下成相寺本と称す)E兵庫・花岳寺蔵「高野山参詣曼荼羅」(江戸時代初期。以下花岳寺本と称す)本稿でとりあげる以上の作品を見るに、大塔は荒廃・焼失・再建を繰り返したにも中 安 真 理

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