E花岳寺本―143―本)と、江戸時代初期の作とされる一種(花岳寺本)である。本年度は未見であったサックラー本を調査の対象とした。Cサックラー本一幅。高野山には大塔の建つ壇上伽藍と、弘法大師廟のある奥之院の二大聖地があるが、サックラー本は壇上伽藍を中心に描く。奥之院を中心とする東京藝術大学大学美術館本と本来一対であったことが指摘されている(注11)。室町時代後期の作で、時期的には文安3年(1446)の三代塔の四度目の修造から、永正18年(1521)の焼失の頃にあたる。大塔は画幅の右側中ほどにある。正面観を描くので、荘厳は上層の二体のみが見え〔図7〕、この点は高野山参詣曼荼羅各本に共通する。軒から四本の緒が垂直に下がり、本体側面または背面からのびた突起につながる。突起および緒は朱色に塗られる。絃楽器の一端は方形、もう一端は丸みを帯びた形になっており、丸い一端には、胴の縦方向に沿った太い線が一条描かれる〔図8〕。この線に似た表現が、たとえば「直幹申文絵詞」第四段(鎌倉時代後期)に描かれた筝にも見え〔図9〕、箏でいうところの柏形〔図10〕を簡略化したものと思われる。また、方形の一端にある二重線は、絃をのせる龍角〔図10〕を示すものであろうか。D成相寺本一幅。山内全体の主要な地物を配する。サックラー本と同じく室町時代後期の作と考えられる。大塔は、画幅の中段に金堂と並んで描かれる。荘厳の設置方法と形状はサックラー本に共通するが、よく見ると向きが逆である〔図11〜12〕。また、絃楽器の方形の一端の上面には長方形が描き込まれており、箏の玉戸〔図10〕を示すと考える。同様の表現は、たとえば「百鬼夜行絵巻」(室町時代後期)の箏の妖怪の図〔図13〕や、「蟹琴蒔絵硯箱」蓋表〔図14〕にも見える。二幅。金堂を中心とする一幅と、大塔を中心とする一幅とに分かれる。画題より江戸時代初期の成立と推定される(注12)。寛永7年(1630)の四代塔の焼失前後に制作されたものか。大塔は中央やや下寄りに大きく描写される。絃楽器の向きおよび表現は成相寺本と同様である〔図15〜16〕。ただし、吊り下げる緒の処理が、サックラー本・成相寺本と、花岳寺本とでは若干異なり、前二者の緒が軒から垂直に四本下がるのに対し、後者は二本ずつ収束させている。
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