鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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8世紀における仏像と荘厳具との関係について―149―研 究 者:早稲田大学文学学術院 非常勤講師  小 林 裕 子はじめに高松塚古墳壁画や法隆寺金堂壁画をはじめとする絵画作例が「型」を用いて制作されたであろうことは、古くより指摘されてきた。立体造形についても、松本榮一氏(注1)が述べたごとく「型」が使用された作例は各地でみることができる。そもそも「型」を使用する目的は、同じ図像を反復したい場合だけではなく、ある図像を模倣したい場合も多かろう。「型」となる下図さえ入手できれば、造形表現の優れた工人の制作した絵画や立体を遠く離れた異国で再現することが可能となるのである。飛鳥時代、百済からやってきた造仏工から仏像制作の技術を習得したわが国の工人たちは、仏教の広まりとともに日々増加する需要に応えるべく制作に勤しんだことであろう。造形表現を訓練するうえで模写や摸刻は有効な手段であるが、時を経るうちに自らの手でエスキスを引くことができるようになる。とはいえ仏像や仏画の大きさは、経典の記述や安置空間、材料や制作工程によって制限を受けることが少なくない。すると、エスキスを引く段階におけるガイドラインとなるべき、黄金比率のごとき規範が成立していったであろうことは想像に難くない。そこで本研究ではこうした規範がどこに存在したのか、そしていかに成立したのかについて検討した次第である。1 これまでの研究これまでに明珍恒男氏(注2)や清水善三氏(注3)らは仏像の体Gのうち特定部分の法量を基準に像身各部分の法量との比率を算出し、その比率によって像の形状を理解しようとした。その後、長谷川誠氏(注4)は、写真測量によって得られた図面をもとに薬師寺金堂薬師如来坐像・唐招提寺金堂盧舎那仏坐像・平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像の膝張・肩幅・白毫の位置に共通する比率があると述べた。これらはいずれも制作年代や制作背景の異なる仏像の体Gから共通する比率からその形状を客観的に捉えんとした試みであるが、これらの研究から仏像制作において何らかの規範が存在するのかどうかまで言及されることはなかった。私は前稿(注5)で、8世紀に制作されたわが国及び唐代の現存作例の像高と光背高の比率に共通性が存在する可能性が高いことを述べた。すなわち、8世紀に制作された立像の光背は、像高を1とした場合に1.25、つまり光背は像高の4分の1の高さをプラスした高さであるという誰にでも分かり易い倍率によって制作されていたと考

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