―6―(注30)、韋浩墓(注31)と節愍太子墓などの樹下人物図壁画も注目されている。このような地域性を持っている題材の墓室屏風画は、いままで、長安一帯の唐墓に発見されたものは少ないのであるが、唐壁画墓の第四期から天宝年間にかけての壁画墓に、屏風図がいくつも見られる。1990年に陝西省礼泉県煙霞鎮東坪村から発掘された燕妃墓の後室南・西・北壁に、十二扇の高士、仕女、侍女図屏風画が描かれている(注28)〔図7〕。この屏風が、棺床の南・西・北の三面に立っていることから、屏風の葬儀用という機能がよく分かる。文献には蕭斉の廃帝東昏侯(499〜502在位)が七賢図に美女を加え、宮殿を飾った記事が見られる(注29)。燕妃墓の人物屏風画には侍女も描かれているが、「七賢美女図」には当たらない。したがって、燕妃墓人物屏風画が竹林七賢と栄啓期図であることを特定できないと思う。その性格について次のように推測したい。これらの人物屏風画も北斉崔芬墓と同じように、現時点で主人公の身元が特定できず、一般的な名士図とせざるを得ない。すると、燕妃本人も朝廷名妃の一員であり、おそらくその生活のスタイルも屏風壁画の人物に近いと思われる。壁画の内容が被葬者生前の生活様式に深く関わっている視点から、燕妃の日常の生活風景を屏風壁画にした可能性も十分に考えられる。言うまでもなく、各牒の主人公になる人物の互いの関係が確認できないことから、寄せ集めた説話図である可能性が否定できないであろう。この屏風画の全体から見ると、墓主人夫婦の生前の生活の様子と思われる。また、天宝4年(745)蘇思勗墓の墓室西壁に六曲の樹下老人図屏風〔図8〕や三 樹下人物図の源流と意味なぜか樹下人物という構図には、樹下に人物が立ったり坐ったりしているものがよく見られる。その意味の一つとしては、樹木が生命の象徴であり、もう一つは、樹木が大自然の重要な組成部分と言われる。墓葬壁画や寺院壁画などには、樹木が描かれ、或いは人物の周囲に聖なる生命の樹が配されていて、生命のシンボルを与えるのである。墓葬壁画には、当時の人々のもった死後の世界観が見られるし、宇宙観、歴史観も示されていると言うことになる。崔芬墓などの墓室屏風画の登場は、自然の空間へ近づき、また自然の空間との緊密な関係性を作ろうとする意図を反映している。このような関係性は、物理的な空間を表象することを通し、精神的な空間に到達することをも意味している。屏風画によって、人界と隔てられた隠遁と修養の理想郷を表し、被葬者の精神的な境界を伝えることができる。また、西安、太原、固原諸地域から発見
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