鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―151―究では、はじめて石窟や摩崖造像の記録をレーザー光を用いた小型機種で実施され、その成果が発表されている(注7)。3次元計測器による計測は、対象が複雑な石窟や摩崖造像であっても客観的なデータを得ることが出来、このデータをポリゴン編集することでPC上の法量計測が可能となる。肥田氏の提示された3次元データと今回私が用いた計測方法との誤差は、約2パーセントであった(注8)。いうまでもなく、最新の光学機器を用いて調査が出来れば数値の精度もあがるが、このような機器を汎用的に使用することは困難である。今回の研究では誤差が数パーセントにおさまっていることから前述の画像処理の方法で進めていくこととする。画像処理にはAdobe社のソフトを使用した。つぎに、作例のどの部分を基準にして数値を採取したかについて述べておく。まず、像高は、小林剛氏(注9)によると古くは地付から髪際までであることが多いというから髪際高とした。光背は火焔や唐草文といった周縁部の文様によって様々なバリエーションがあると考え、光背高は台座上面、つまり地付から計測し、上は周縁部のない光背本体の最上部までとした〔図1〕。頭光に直接周縁部がとりつく場合には頭光最上部を、周縁部のない光背の場合も頭光最上部を基準とした。3 像高と光背高の間の規範発生の時期8世紀に制作された立像では、像高1に対して光背高が1.25という数値が平均であった。この数値を参考に、いくつかの作例の数値をみてみたい〔表3上段〕。まず朝鮮半島の作例をみてみると、統一新羅時代7世紀末に制作された栄州里石造如来像は像高を1とすると光背高が1.37となっており、先述した平均的数値である1.25を上回っている。しかし、同じく統一新羅時代聖徳王十八年(719)に制作された甘山寺石造阿弥陀像は1.23、同弥勒像は1.24で、平均的数値である1.25に近似している。朝鮮半島の作例では制作年代の早いものがやや大きな比率を示しているので、わが国の作例をみてみると〔表3中段〕、8世紀以前に制作された立像の中でも各部分の法量や画像が数多く公開されている法隆寺百済観音像は像高を1とした場合の光背高は1.34、救世観音像では1.45で、やはり8世紀の平均値である1.25を上回っている。このように、8世紀以前の立像では像高に対する光背高の比率が大きい可能性がある。そこで中国の作例をみてみたい〔表3下段〕。北魏永平四年(511)銘観音菩薩像は、像高が1に対して光背高が1.44、北魏正光五年(524)銘の観音像は1.41、北魏孝昌三年(527)銘弥勒立像は1.20、北魏永安二年(529)銘弥勒三尊像は1.45、北魏永興元年(532)銘弥勒三尊像は1.38、北魏桓氏如来像は1.48となっている。また、東魏

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