鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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注山東省文物考古研究所「済南市八里窪北朝壁画墓」(『文物』1989年第4期。楊泓「山東北朝墓 山東省文物考古研究所、臨A県博物館「山東臨A北斉崔芬壁画墓」『文物』2002年第4期、4■鄭岩『魏晋南北朝壁画墓研究』文物出版社、2002年、228頁。■前掲注 。■南京博物院、南京市文物管理委員会「南京西善橋南朝墓及其磚刻壁画」『文物』1960年第8、■蘇哲「山東省臨煦県北斉崔芬墓の人物屏風壁画について」『中国考古学』学術雑誌、2003年3月、106〜120頁。蘇哲『魏晋南北朝壁画墓の世界―絵に描かれた群雄割拠と民族移動の時代』(アジア史選書8)白帝社、2007年。林聖智「北朝時代における貴族の墓葬の図像―北斉崔芬墓を例として」(曾布川寛編『中国美術の図像学』明文社、2006年)27〜95頁。■前掲注■蘇哲氏の論文を参照。■画面に描かれた貴婦人の髪、服飾、形態などは華やかな唐代絵画風格が強く見られ、確かに唐―7―された唐代の樹下褒衣人物図屏風という同一的画題は、当時の京畿地域から北方地域へ流行している物語から取材したものというべきかもしれない。このような樹下褒衣人物図屏風の絵画題材は、当時の社会で盛行している文化観念も反映している。このような褒衣人物は、歴史人物、宗教性・神仙性を持っている人物の各類に分けられている。或いは、孝子、義士、烈女、賢達、忠臣などの儒家倫理性人物、「竹林七賢」の逸士、道教神仙人物、鑑戒人物などの具体的な分類もできるであろう(注32)。これらの樹下老人図屏風の図像が墓葬に描かれている役割については、多岐に亘っているが、中国における古来の死後昇仙観念という伝統思想との関係があろう。特に、樹下人物の様式として墳墓壁画に広く応用された「竹林七賢と栄啓期」という高士の図像は、歴史上の人物が神格化或いは神仙化し、墓主人も神仙になって、彼岸世界へ達するという寓意を示唆しているであろう(注33)。それは、屏風壁画が区画で仕切られた独立画面において生前と同様の生活とは異なる理想世界の表象を担っていたことを意味していよう。以上のように、6〜10世紀中国における墓葬壁画の樹下人物図屏風を検討すると、南北朝時代には、樹下高士・逸士という老人図を中心として描かれており、唐時代に入って、樹下老人図がまた重要な画題として踏襲されながら、樹下美人図が広く流行したということが理解できる。また、残った問題は樹下老人図の人物の身分を推定することである。今まで、樹下老人は竹林七賢と栄啓期や孝子、墓主生前に関する特定身分など諸説があった。これは、将来の興味深い研究課題と思う。人物屏風画的新啓示」『文物天地』1991年第3期。9期。〜25頁。山東省臨A県博物館編『北斉崔芬壁画墓』文物出版社、2002年。

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