鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―161―18世紀初頭のフランス画家とシャルダンのみである(注2)。具体的には、《洗濯する女》と《給水器の前の女》が、1737年のサロン出品時には、「作者はレンブラントを目指す独自の作風をもっている」と賞賛され(注3)、1739年のメルキュール・ド・フランス誌においては、「テニールス風の巧みな構図」だと評された(注4)。3点目の《哲学者》については、もっぱら1753年のサロンに再出品された際の批評であり、1730年代の人々の声はとくに記録されていない。このように、シャルダンの初期人物画期にあたる1730年代は、ディドロに代表される18世紀後半の美術批評の成熟以前であるため残された記録や証言が少なく、そのことがシャルダンの初期人物画における着想源の把握を難しくしている。先に挙げた《洗濯する女》と《給水器の前の女》はシャルダンの人物画のなかでも最も早い時期に制作されたものであり、確かに北方絵画の影響が色濃く認められる。しかし、その後制作された初期人物画は洗練の度を増し、より簡潔な表現へと移行していく。その際、制作のヒントになったのは何であったのか。それを、同時代のパリの画家たちの活動から探ってみたい。初期人物画期、とりわけ1735〜37年にかけてシャルダンが繰り返し描いた主題に「カードのお城」がある。そのうち最も広く流布したロンドン、ナショナル・ギャラリーのヴァージョン〔図1〕(注5)は、少年がゲーム台に向かって、トランプで立体物を作っている場面が描かれている。他のヴァージョンも、少年の向き、帽子の有無、服装などに若干の違いはあるものの、大体の構成は同じである。17世紀北方絵画においてもトランプ遊びは盛んに描かれてきた。それらはしかし、複数の大人たちが酒場でにぎやかに賭博に興じる場面がほとんどであって、シャルダンのように子どもがトランプで遊ぶもので、しかもトランプ自体を組み立てる場面というのは極めて珍しい。この北方に先例のない主題を制作するにあたり、シャルダンは身近なフランスの画家、シャルル=アントワーヌ・コワペル(Charles-AntoineCoypel, 1694−1752)の《カードのお城》〔図7〕(オリジナルは現存せず)を参照したことが指摘されている(注6)。コワペルは、シャルダンが1724年から師事したノエル=ニコラ・コワペル(1690−1734)の甥であり、年齢が近いこともあって、シャルダンと生涯にわたり交友関係にあった。コワペルの《カードのお城》の着想源は明らかではないが、少なくとも言えるのは、北方絵画にかんして、とりわけレンブラントを熱心にコレクションしたことが死後の財産目録から知られているということである

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