鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―162―(注7)。コワペルが1725年に制作し同年のサロンに出品したこの《カードのお城》は、説明的であり、鑑賞者の関心を引こうとするやや芝居がかった場面を創出しているため、シャルダンの作品とは大分雰囲気が異なっている。とは言え、子どもが中心人物であることや、トランプの重ね方には共通点が認められる。同様に、後にシャルダンが描くことになる主題を、フランスにおいて彼に先駆けて発表した画家として、ブイ(AndréBouys, 1656−1740)の存在も注目される。アカデミーの肖像画家であったブイの本領はやはり肖像画にあったが、最晩年になって初めて風俗画に挑戦している(注8)。この背景には1730年代における風俗画の台頭と人気が影響していることは間違いないだろう(注9)。ブイは1737年のサロンに《銀食器を磨く女中》〔図8〕と《市場帰りの二人の女中》(現存せず)の2点を出品したことが分かっている(注10)。興味深いことに、これに即応するかのように、シャルダンは翌1738年のサロンにブイと同様の主題《鍋を洗う女中》〔図2〕を発表。続けて1739年のサロンには―これは初期ではなく中期の人物画であるが―《買物帰りの女中》〔図9〕を出品し好評を博した(注11)。ブイの《銀食器を磨く女中》〔図8〕では、女性が一心に食器を拭く姿がモニュメンタルに捉えられている。テーブルの上には既に彼女によって磨かれたと思しき銀製品がこまごまと並べられているが、全体の構図は安定した三角形の非常にシンプルなものである。背景描写も奥の壁面のみに留められている。その点で、18世紀に入ってすぐワトーによって描かれた可能性が指摘される同主題(注12)とは異なり、シャルダンの画面構成はブイにより近いと言える。それからもう一点、ブイの《市場帰りの二人の女中》については、作品が現存しないため構図は不明であるものの、シャルダンの作品に描かれている女中も二人であり、その点では両者一致していると言えよう。なお補足しておくと、シャルダンは《買物帰りの女中》のヴァージョンを計3点制作しており、ベルリン、シャルロッテンブルク蔵のヴァージョンはサロン出品の前年1738年に既に仕上げられたことが年記により判明している(注13)。これらのことから、シャルダンはブイの作品が発表されるや創作意欲を掻き立てられ、翌1738年にはすぐさま彼と同じ「鍋磨き」と「買物」という二つの主題を試みたと考えてよいだろう。さて、前述の二つの例は先行画家とシャルダンとの間で主題が共通する例であった。次に、主題ではなく構図や筆致の点でシャルダンとの親近性が認められる例を見ていこう。まず注目したいのはサンテール(Jean-Baptiste Santerre, 1651−1717)である(注14)。サンテールは1704年、アカデミーに歴史画家として認定されているものの、実際に彼が制作した作品の大半は肖像画と風俗画である。彼の修行時代についてはほと

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