鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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■J. Cailleux, “Esquisse d’une Etude sur le goût pour Rembrandt en France au XVIIIe siècle”, NederlandsKunsthistorisch Jaarboek, vol. 23, 1972, pp. 159−166, esp. 160−162. また、同著者の“Les artistesfrançais du dix-huitième siècle et Rembrandt”, Études d’art français offerts à Charles Sterling, Réunieset publiées par Albert Châtelet et Nicole Reynaud, Paris, 1975, pp. 287−305, esp. pp. 292−293.■Benezit, Dictionary of artists, Paris, 2006, vol.2, p. 1067.1720年代に入ってそれまで評価の低かった風俗画の位置づけに変化が生じ、貴族の余暇を描いたワトーらの作品は現代的で洗練されており、フランス的だと考えられるようになった。そし注シャルダンが人物画を描いた1733〜53年は三期に分類でき、初期(1733−38年)、中期(1738−41年)、後期(1741−53年)である。大部分はいわゆる風俗画であるが、中にはモデルを特定できる肖像画も含まれるため人物画と呼ぶこととする。 G. Wildenstein, Chardin, Paris, 1921.■Ibid., p. 64. なおこの手稿を書いたのは恐らく、有名な美術愛好家で批評家のマリエットであろ■Ibid., p. 68(Mercure de France, juin 1739). 正確には、シャルダンの《洗濯する女》と《給水器■Snoep-Reitsma, “Chardin and the bourgeois ideals of his time”, Nederlands Kunsthistorisch Jaarboek,■4点あるヴァージョンのなかで唯一サロン(1741年)に出品され、その後レピシエによって版―165―vol. 24, 1973, p. 207. またP. Conisbee, Chardin, Oxford, 1986, p. 142.紹介されている(注25)。記事の筆者(おそらくはメルキュール・ド・フランスの編集者であり、シャルダン作品の重要なコレクターであったラ・ロック)もシャルダンとグリムの作品の近似性を感じ、シャルダンのみならずグリムにも関心を抱いていた証左と考えられる。おわりに以上、シャルダンの初期人物画の成立を、フランスの絵画動向から検討してきた。その結果、シャルダンは主題のみならず、構図や筆致においても先行するフランスの画家たちを積極的に学んでいたことが示された。18世紀初頭、フランスに新たに風俗画ジャンルが芽吹いたことは、確かに17世紀オランダ・フランドル絵画の先例なしには語れない。実際、シャルダン自身、17世紀の北方絵画から着想を得ている。しかし、シャルダンはもっぱらそうした前世紀の絵画を摂取したわけではなかった。1730年代までにフランスの画家たちが北方絵画を学んだ豊かな下地が既にあって、その土壌の上にシャルダンの初期人物画が成立したと言えるのである。うと考えられている。の前の女》に基づくC. N. コシャンによる版画についての言及である。画が作られた。

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