鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
180/499

1.問題の所在3ムガル皇帝の肖像画におけるオスマン帝国スルターンの肖像画の影響アクバルの自己イメージ2.皇帝の自己表象の変化―170―研 究 者:千葉大学大学院 社会文化科学研究科 博士課程  池 田 直 子本稿は、インドのイスラーム政権であるムガル帝国(1526〜1858年)において、第4代皇帝ジャハーンギール(在位:1605〜1627年)の統治下で、1610年代頃から制作されるようになった、寓意表現による皇帝の肖像画をとりあげ、オスマン帝国スルターンの肖像画の影響という観点から論じる。これらの皇帝の肖像画は、ムガル宮廷の画家たちが、交易や外交を通じて他国、すなわちイギリスとオスマン帝国の王の肖像画を得て、王の肖像画という新しい表現形式を習得して制作された。ムガルの画家たちは、単にそれらを転用するのみならず、象徴物があらわす意味をある程度理解し、ムガル皇帝にふさわしいモティーフのみを選んだ。そして他の、ヒンドゥー、ペルシア、キリスト教美術からのモティーフも加え、ムガル帝国の理念をあらわす皇帝の肖像画を新しく創り出した。先行研究において、この肖像画の寓意表現が、イギリス君主の肖像画から習得されたことは、すでに指摘されている(注1)。しかし、オスマン帝国のスルターンの肖像画も、イギリス美術と同様にムガル皇帝の肖像画の成立に一役を担っていることは、歴史学的にムガル帝国とオスマン帝国の関係がほとんど論じられることがなかったため、これまでに議論の対象からはずされてきた(注2)。したがって、本稿では、オスマン帝国との関係を考察し、スルターンの肖像画が与えた影響について検討する。構成としては、最初に、この皇帝自身の自己イメージの変化によって制作されたこと、そしてこれらが従来のものとは異なる、新しい表現であることを明らかにする。次に、この新しい肖像画が、なぜジャハーンギール時代に求められたのか、その理由を考察し、ムガル帝国の理念、オスマン帝国との関係、といった背景についても論じ、これらが全体として皇帝の肖像画が制作される要因になったことを示す。まず最初に、ジャハーンギールの肖像画と、それ以前の皇帝の肖像表現の変化を、皇帝の自己イメージの変化という観点から論じる。ジャハーンギール以前の皇帝、すなわち父アクバル(在位:1556〜1605年)は、自

元のページ  ../index.html#180

このブックを見る