鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―174―ムガル絵画の中にスルターンを描いた3作品が現存する。アブル・ハサン作《詩人サーディーを迎えるジャハーンギール》(1615年頃〔図3〕)、ビチットゥル作《スーフィーに本を贈るジャハーンギール》(1615〜18年頃〔図4〕)、ハシム(上)とアミ・チャンド(下)作《ジャハーンギールとトルコ人》(1615〜1620〔図5〕)である。まずアブル・ハサン作《詩人サーディーを迎えるジャハーンギール》〔図3〕には、ジャハーンギールの宮廷が描かれている。右ページ中央にいるジャハーンギールは側近たちに囲まれており、最も近くにいるのが3人の皇子たち(装身具を身につけている)で、その周囲を側近たち、すなわち宰相とその2人の息子、ラージプートの名門メーワール王国の王子などが控えている(注11)。側近に囲まれたジャハーンギールは世界を表す地球儀の上に足をのせ、両腕を広げ、左場面の中央にいる人物、13世紀の詩人サーディーを迎えいれている。本を持つサーディーの後ろにスーフィーたちが従い、さらにその後ろにイエズス会士がいる。そして画面下にいる二人の人物のうち左側の人物は、その右袖の部分に名が記されていることからバヤズィト1世であることがわかっている〔図6〕(注12)。このバヤズィト1世は、横顔で、かつ顔の陰影が濃く描かれていることから、ヨーロッパの図像を霊感源に持つであろうことがこれまでに指摘されている。本稿では、その霊感源として、歴史家パオロ・ジョヴィオが収集したスルターンの肖像画に基づいて、1577年にトビーアス・シュティンマーが木版で制作したオスマン帝国スルターンの肖像画群の中のバヤズィト1世像〔図7〕を新たに指摘したい。このジョヴィオの収集したスルターンの肖像画群は、ルネサンス時代、オスマン帝国スルターンの肖像画として最も普及したイメージであり、繰り返し描かれた。コジモ・デ・メディチやフェルディナンド2世、イザベッラ・ゴンザーガも、このジョヴィオのコレクションを手本とするスルターンの肖像画を注文した(注13)。このように繰り返し制作されたいずれかの版画がムガル宮廷に送られた可能性は高い。〔図7〕にみられるように、ジョヴィオが収集したバヤズィト1世は、スルターンには珍しい装飾のない無地のターバンをかぶり、そのターバンの端は耳付近に垂れ、カフタンの襟は幅広であるという特徴ある衣装をまとい、鼻は長くとがっており、口髭と、長いとがった二つに分かれた顎鬚をたくわえる独特の容貌を示している。アブル・ハサンのバヤズィト1世は、ターバン、長くとがった鼻、口髭、長いとがった顎鬚といった特徴を受け継いでいるが、顎鬚は二つに割れていない。おそらく、ジョヴィオを元にしたほかのヴァリエーションの中に、二つに割れている髭が一つに表わさ

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