6.結論―176―式による作品では、本は、歴史書を大量に注文したムラト3世(在位:1574〜1595年)とメフメト3世(在位:1595〜1603年)のアトリビュートであり、いずれかの肖像と推測される。これ以外のスルターンの肖像画からの影響としては、ベッリーニ作の《メフメト2世》に由来する、窓枠から半身を出す構図(〔図2〕と〔図5〕)、そして宝珠とがあげられる。ムガル皇帝の宝珠の多くは、救世主としてのキリストの図像やヨーロッパ君主の宝珠に由来する、鍵穴つき〔図5〕や鍵穴に鍵が入っているタイプが中心であり、それらを地球儀と混同し地球儀に表す図像と同じものを描いてしまった宝珠=地球儀〔図10〕もある。その他に、いっさい装飾のない球の表現もある。この描写はオスマン帝国の世界の覇権と統治を示す「黄金のりんご(kizil elma)」に基づいていた。これは、『アフメト1世のアルバム』に綴じられた1590〜95年頃制作の肖像画〔図11〕にも、スルターンたちが手にする「黄金のりんご」がみられる。この「黄金のりんご」は17世紀初頭から急激に描かれるようになり、ヨーロッパの版画の中では、1610年出版のイギリス人ジョージ・サニーズの旅行記の表紙に立つアフメト1世が黄金のりんごを持つ画像が最初である〔図12〕(注16)。以上のように、ムガル宮廷はオスマン帝国のスルターンの肖像画をなんらかのルートで獲得し、ムガル絵画の中にスルターンを描写し、そしてスルターンの象徴物をムガル皇帝に転用した。スルターンは絵画の中で常にジャハーンギールより下の位置に描かれ、スルターンはムガル皇帝の家臣にすぎないことが強調されている。特に〔図5〕の《ジャハーンギールとトルコ人》では、そのヒエラルキーが明確にあらわされれ、絵画の中にまさに反映されている。最初に、皇帝の肖像画そのものが新しい表現形式であることを、アクバルの肖像と比較することによって再確認した。アクバルはインドを征服する英雄として描かれている一方、ジャハーンギールは寓意表現を用いて栄光化された皇帝像として表わされた。両皇帝は、同じテキスト、すなわちアクバルの歴史書と制度集成に基づいて自身の図像をつくらせていた。両者の違いは、それぞれが君主として果たした役割の違いから生じたものであった。アクバルは実際にインドを再征服し、建国しなければならなかったが、ジャハーンギールはすでに建国された帝国を継承し、ムガル帝国の支配を安定化させることが役目であった。またジャハーンギールは、自身を世界の支配者として認識し、他国の領土、すなわちかつてのティムール朝の版図や、そこを支配す
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