鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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4モーリス・ドニの「ジャンヌ・ダルク」の図像表現を巡って―182―研 究 者:国立西洋美術館 研究補佐員  金 澤 清 恵はじめに:先行研究と問題の所在19世紀末から20世紀前半にパリで活躍したモーリス・ドニ(1870−1943)は、未完成作を含め6点のジャンヌ・ダルク像を描いている(注1)。宗教的な主題に関心のあったドニは、聖書の場面や聖人、聖人伝などを生涯描き続けた。それらの作品を制作した理由としては、ドニがまず敬虔なクリスチャンであったことが挙げられるが、実はそれ以外の理由として政治的、社会的状況をふまえていたことは一般的にはあまり知られていない。ドニのジャンヌ・ダルクの作品に関する先行研究として、アンヌ・グルゾンが1996年にリヨン博物館紀要に記したジャンヌ・ダルクに関する論文「ジャンヌ・ダルク、「神の恋人」、モーリス・ドニによるジャンヌ・ダルクの聖体拝領1909−1912」が重要であるが(注2)、それ以外にまとまった文献はほとんどない。この論稿でグルゾンは、ジャンヌ・ダルクを主題とした絵画を依頼したドニのパトロンであるガブリエル・トマ(1854−1932)とドニとの関係や作品の主題の内容について詳細に論じている。しかし、作品の分析やドニがジャンヌ像を描いた要因については論じていない。また、ドニとジャンヌ・ダルク、ナショナリスムの関係については、ドニ研究の第一人者であるジャン=ポール・ブイヨンが1994年の「モーリス・ドニ」展カタログ中の論文「ドニの政治性」で触れているが、ドニと政治という広範な主題を扱っているゆえ、個々の作品の分析はほとんどなく、ドニが描くジャンヌ・ダルクの図像は単にドミニック・アングルの《ランス大聖堂のシャルル7世の聖別式でのジャンヌ・ダルク》(ルーヴル美術館、1854年)などを参考にしたとし、その図像を描いた理由を1909年にジャンヌが福女に列せられたことと簡単に記しているにすぎない(注3)。そこで、本稿では、ドニによって描かれたジャンヌ・ダルクに関してこれらの論文では十分論じられなかった点、つまり、作品の様式を分析し、その特徴を明らかにし、そして、ジャンヌ・ダルクの図像を描いた要因として関係する社会背景を詳細に検討し、それらの一端がまたドニによって記された絵画論に端的に示されていたことを明らかにしようとするものである。1.ジャンヌ・ダルクの20世紀における評価とその背景ジャンヌ・ダルク(1412−1431)は、1412年フランス北東部シャンパーニュの一部

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