A. GRESON, “Jeanne d’Arc, “Belle de Dieu”La Communion de Jeanne d’Arc, par M. DENIS, 1909-■J-P. BOUILLON, “Politique de Denis”, in exh. cat., Maurice Denis1870−1943, Musée des Beaux-Arts■M. WINOCK, “Jeanne d’Arc et les Juifs”, in Nationalism, antisémitisme et fascisme en France, Éditions注ドニのレゾネは未完成のため、ドニの描いたジャンヌ・ダルクが何点あるのかは正確に把握できないが、グルゾンによる論文注 、ブイヨンのモノグラフJ.-P. BOUILLON, Maurice Denis,Skira, Genève, 1993、「ジャンヌ・ダルク」展のカタログ注■、プリウレ美術館資料室、リヨン美術館資料室にあるデータを参照した。尚、デッサン、部分図として確認できたものは以下のものである。《ドンレミのためのデッサン》個人蔵、1909年《騎乗のジャンヌ・ダルク》(プチ・パレ天井部分)、パリ、1918年《火刑のジャンヌ・ダルク》(プリウレ礼拝堂部分)、プリウレ美術館、サン=ジェルマン=アン=レー、1915−28年頃《騎乗のジャンヌ・ダルク》(サン・ジェルマン教会内記念礼拝堂)、ガニィ(パリ近郊)、1920年《ジャンヌ・ダルクの前に出現する聖ミカエル》(ジョルジュ・ゴヨーの『宗教史』のための挿絵)、1921年―189―de Lyon, Cologne, Liverpool, Amsterdam, 1994−95, p. 95−109.du Seuil, 2004, pp. 141−152.1912”, in Bulletin des Musées et Monuments Lyonnais, Saison 1996−1997, 1996, pp. 46−69.うことではなく、現代的要素、つまりこの時代の反映としての構図を組み合わせていることを意味するのではないだろうか。おわりに以上、まず、ドニがジャンヌ・ダルクを描いた社会背景、つまり、フランス第三共和政下の政教分離政策とそれによる教会の権威失墜、権威回復のためのカトリックの運動、それらと同時期に起こったドレフュス事件とそれに伴うナショナリスムの隆盛などを見てきた。それから、それらの社会変動とともに、ジャンヌ・ダルクが20世紀初頭に福女から聖女へと評価されることとなる。そうした社会を反映し、ジャンヌ・ダルク像が多く描かれることとなったが、ドニは、そうした社会に大きく影響を受けながら、自らも政治や社会、とりわけナショナリスムの思考に関心を持ち、教会の復興運動を、教会装飾やジャンヌ・ダルクの作品の制作によって果たした。そうした作品は、自らの絵画理論―すなわち、古典主義的理想というフランス的精神への回顧という意味での新しい伝統主義―にのっとった、伝統的様式を用いながらも新しい作品を制作することを模索していたものであったといえよう。
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