鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―195―歴史叙述がまさに作られようとしていた当時の状況に光を当てることにより、モダニズム的歴史叙述がマスター・ナラティヴとなる以前の、初源的で混沌とした状況が現れ、20世紀美術史の叙述の批判的再考に大いに資するのではないかと思う。近代美術館に残る記録から判断する限り、『キュビスム』展の最初の構想は1932年末になされ、翌春には正式に館内で提案されている。この時期に同展が企画されたのは、ある意味では必然であった。それは1929年に生れたばかりの、未だ権威もなく、運営も安定せず、将来も定かでない近代美術館が、今後の方向を定め、美術館として自立していくことと密接に結びついていたのである。1931年、近代美術館は早くも大きな岐路に立っていた。同館の設立者の一人であるリリー・ブリスが設立のわずか2年後の1931年に亡くなるが、彼女は遺言で自分のコレクションを同館に寄贈すると定めていた。ただし、そのコレクションの維持のために十分な経済的基盤を近代美術館が持てれば、という条件付きであった。その資金集めのために与えられた猶予は3年で、それまでに達成できなければ、作品は全てメトロポリタン美術館に収められることとなっていた。最終的にはこのコレクションは無事近代美術館の所蔵となったのだが、その成功のためには資金集めのみならず、美術館の運営方針の大々的見直しが必要であった。そもそも近代美術館は、常設展示を行うかどうかもはっきりとは決まっておらず、新しい時代の表現を扱うという使命と、コレクションを持つこととは矛盾するのではないかとも考えられていた。このような美術館に対してブリス・コレクションは、館としてのコレクションの形成という新たな使命をもたらし、また最初の大々的な資金集め活動を美術館に課すとともに、同館が存続していくための土台ももたらしたのである。遺言の期限が迫り、未だ資金調達もままならず、方針転換をめぐる議論が続く中で、1933年8月、バーは「近代美術館の現状と将来的方向性」というレポートを理事会に提出する(注6)。そこでは、まずブリス・コレクションの受け入れの成功とそのための資金集めの重要性が論じられ、また近代美術館の今後の方向性も論じられた。さらにこれに付随するものとして、バーは、そこでは十分に述べられなかった展覧会計画に関する別のレポートもまとめ、今後10年間に計画すべき展覧会を詳細に論じた(注7)。このレポートに記された企画“Abstract Design(30th Anniversary of Cubism)”が、後の『キュビスム』展である。展覧会の内容やタイトルは、その後も幾度か変更され、1934年12月には“Toward

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