―196―Abstraction” の企画名で1935年の開催がバーによって提案されている(注8)。しかし、これは却下され、なおかつ理事会は、キュビスムの主要作品にのみ焦点を当てた展覧会にすべきという意見と、抽象美術の歴史的展開を包括的に示す内容にすべきという意見の二つに割れてしまった(注9)。当初の、そして最終的に実現もした後者のようなバーのプラン通りにはなかなか進展していかなかったのである。“TowardAbstraction” という題名がおそらくは長く使われたのだろうが(注10)、実際に出品作品が選定され始めた時点では“Out of Cubism” という題名が用いられている(注11)。こうした企画名の変遷は、「抽象的デザイン」と「キュビスム」のどちらに重心を置いた展覧会として構成していくのか、いささか揺れ動いていたことを推測させる(注12)。しかしバーにとっては、この展覧会は、キュビスムを出発点として展開した抽象美術を扱う展覧会以外の何ものでもなく、かつそれは将来の常設展示の重要なセクションも形成するはずであった。バーは、歴史的諸条件からは独立したものとして、作品の内容を除いた純粋な形式の芸術として抽象美術を語り、そこには美的価値が純粋な形で現れると論じた(注13)。こうしたバーの歴史叙述に対してシャピロは、「抽象芸術が生まれた社会の本質を無関係なものとして考慮に入れず」に、「美術の歴史は芸術家たちの世界の内側での内在的過程として示されている」という問題があると指摘した。シャピロにとっては、抽象美術も歴史的条件のもとに生れたのであり、そこで用いられている様々な形式や表現も、新たな社会変動と作家たちの社会的経験に深く根ざしたものであった。それに対してバーは、社会的要因とは一切無関係に、抽象美術を芸術家たちの「共通の強力な衝動によって」進められる「不可避の論理的帰結」と考えたのである。抽象美術が、「共通の強力な衝動」という集合的無意識によって進められたことを強調するために、バーのチャートでは、出発点にある4人の画家(ゴッホ、ゴーガン、セザンヌ、スーラ)とブランクーシを除けば作家名が記されず、様々な美術運動が、全て何らかの「主義」として集団的に示されている。かなり最終段階のものと思われる草稿には〔図2〕、各「主義」の代表的作家たちが書かれているが、これも最終的には削除されている。こうした固有名の消去は、ヴェルフリン的な「画家名無き美術史」の記述との類似を示し、バーの歴史叙述に学術性と客観性を付与する役割も果たしつつ(注14)、その方法論がヴェルフリン的な形式主義であることを示してもいる。最終段階に記された「非幾何学的抽象」と「幾何学的抽象」の二元論的並置は、ヴェルフリン的な差異に基づく二項対立による形式の把握をはっきりと示すものだろう。こうした二元論的思考は、このチャートの初期の草稿〔図3〕にも見出され、そこで
元のページ ../index.html#206