*「構造社」研究―12―――帝展改組に伴う分裂から解散まで――研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士特別研究員はじめに齋藤素厳(1889〜1974)と日名子実三(1893〜1945)により大正15年(1926)に結成され、彫刻を主とする公募美術団体として昭和19年(1944)まで活動を続けた「構造社」は、昭和戦前期の彫刻界では再興日本美術院や二科会、国画会と並ぶ在野系の有力団体の一つに数えられた。その活動の特色は「彫刻の実際化」を掲げて群像や浮彫、建築装飾、モニュメント、商業美術、図案工芸などに力を注いだことにある。「構造社」に関する研究は、近年の回顧展の開催(注1)や会員の個別的研究の成果(注2)により急速に進展をみせている。しかし、従来の研究は専ら同会の昭和初年の動向を中心としており、絵画部を解消して彫刻団体となった昭和10年(1935)以後の動向については未研究の部分が多い。戦時体制の強化が進んだ時期と重なる点では「構造社」研究の進展はもとより、戦時下の彫刻の諸動向を解明するためにも重要な考察対象である。それゆえ、本研究では帝展改組以後の団体活動を明らかにすることを課題とし、も継続中であるが、本論はこれまでの調査報告として従来の「彫刻の実際化」という主張が後期の活動期間においてどのような実践を通して具体化されていったのか若干の考察を加える。先ず、帝展改組に伴う組織上の動きを整理し、後期の創作傾向を第9回展(1935年)を通して考察する。次に、結成当初から重視されたモニュメントの展開に注目し、昭和10年前後に実現した齋藤素厳の作品を取り上げる。そして、後期の団体活動を特徴づける実践として彫刻資材不足を背景に脚光を浴びたセメント彫刻について検討する。以上の考察を踏まえて後期の活動期間を総括し、今後の研究の展望について述べる。1、帝展改組と「構造社」官野の統合による美術界の一本化を図ることを目的に昭和10年(1935)5月28日に新帝国美術院管制が閣議決定された。いわゆる帝展改組である。事前に打診を受けたのはごく少数の美術関係者だけだった上、従来の無鑑査の見直しを図ったことが問題「構造社」会員の作品調査と同時に二次資料の収集と分析を進めた。その作業は現在齊 藤 祐 子
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