―211―の指摘するとおり「本作をもって室町期庭園の実際を写したものと考えるのは早計」(注19)ではあるし、先行研究でしばしば指摘されるとおり花木と小禽の組み合わせや、草花と草虫の組み合わせは中国画を着想源としたことは疑いのないことであろう。しかし、他の花鳥図屏風に見られるような中心部を大きく空けて両端に重心となるモチーフを置くという構図をとらず、様々な花木を自由に配置するという本作に特徴的な画面構成がとられた背景には、眼前に広がる近景、則ち庭の景を描き出そうとする意図があったのではないだろうか。更に本作に描かれたモチーフは、五山文学の詩文の中にも多く見出すことができる。そしてこれらの詩文に摂られたモチーフは、中島純司氏によれば、中国の画院における正統的なモチーフ及びその価値体系を正しく享受したものであったという(注20)。つまり、室町期において、中国画院における正統的なモチーフは、五山文学の中に摂取された一方で、花木そのものが舶載されることによって、憧憬の対象である庭園の姿を実景として再現することが行われるようになったと考えられるのである。本作は、そのような中国への憧憬が実景化された場において、眼前の庭園と舶載された小幅花鳥画とのアンソロジーとして描かれたのではないだろうか。3.「四季花鳥図屏風」に見られる水流の描法本作に見られる水流の描法は、本作のやまと絵的な性質を深く印象づける要素となっている。宮島新一氏は本図の作者に漢画に長けた人物を想定しながらもこの水紋の表現については「まさしく大和絵系の作品にしか見出されないものである」と指摘する(注21)。また、辻惟雄氏は出光美術館蔵「四季花木図屏風」の水紋と近似すると指摘する(注22)。確かに、規則正しく並んだ弧線が左右に折れ曲がりながら水流を形作っていく描法は、本作のほか、出光美術館蔵「日月四季花鳥図屏風」、出光美術館蔵「四季花木図屏風」、東京国立博物館蔵「浜松図屏風」、東京国立博物館蔵「日月山水図屏風」左隻など、同時代か或いは近い制作年代が推定されるやまと絵系の屏風に見られるものである。しかし、本作の水流の描線を詳細に観察するとき、他の作品とは異なる点に気付かされる。ここでは出光美術館蔵「四季花木図屏風」の水紋を比較対象として、本作の水紋の特徴を明らかにしたい。まず、本作の水紋と出光美術館本「四季花木図屏風」の水紋〔図3〕は共に、基本的には均一な幅で折り返している。その幅は、出光美術館本「四季花木図屏風」の方が若干広く、より正確に維持されている。対して本作の水紋の幅はやや狭く、また、場所によって、少しずつ幅を変えていることが指摘できる。そしてこの狭い幅の折り返しや幅の微妙な変化が、水紋を、
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