鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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7中世末期のシエナにおける風景表現の誕生―218――ドゥッチョの《マエスタ》「山頂での誘惑」を中心に―研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程  吉 澤 早 苗はじめに1200年代後半に始まったイタリア絵画のイリュージョニズムの展開の中で、シエナ派が示したユニークな性格のひとつは、空間を広く見渡す風景の表現にある。1338−39年、アンブロジオ・ロレンツェッティはシエナ市庁舎、「ノーヴェ(九人執政官)の間」の壁を都市国家の理想的景観図「善政の効果」〔図1〕で飾った(注1)。それは、隣接の壁に描かれた一群の擬人像と共に、政治哲学の寓意を表すものであり、シエナ共和国を思わせる市街と周辺領地の展望は、17世紀以降の本格的風景画のように独自の意味を持ってはいない。けれども、観者の目の前に展開するパノラミックな空間とその地誌的リアリズムは、中世の間、長く省みられなかった風景の描写に対する新たな関心を示している。風景表現の端緒を開いた都市国家の展望図はしかし、アンブロジオによって突然創造された訳ではない。周囲の環境を広く捉えるシエナ派の試みは、すでに1300年代初頭のドゥッチョの時代から始まっていた。ドゥッチョによるシエナ大聖堂の祭壇画《マエスタ》(1308−11年)中のキリスト伝場面「山頂での誘惑」〔図2〕には、風景に対する最初の取り組みが認められる(注2)。岩山や都市モティーフの慣習的性格のためか、構図の斬新さについてはそれ程注目されない場面であるが、点在する都市に向けた俯瞰的視線や細部の写実主義的描写は、「善政の効果」のパノラマを確かに予告するものである。1300年代前半のシエナに、なぜこうした展望的な空間表現が現れたのか。中世末期における風景の出現については、G. ポヒャットの言うように、イメージの象徴的機能より再現的機能を重視する絵画観の変化、また、個々の人間存在に価値を認める思想の変化が大きな前提となるだろう(注3)。風景はまず、人間像に実体性を与える手段として登場した。その出発点となったのは、山岳や建築等、古代以来の伝統的モティーフである(注4)。文学作品等に先行して見られる自然への感受性、そして自然の観察は、よりもっともらしい風景イメージの形成を促す要因として説明されてきた(注5)。本稿で取り上げるのは、それらとは別の要因、つまり、風景の表現を可能にした空間構図の問題である。風景とは、空間を評価するひとつの方法であり、環境に対する

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