―219―各時代固有の解釈と密接な関わりを持っている(注6)。人物像を取り巻く広がりに向けたドゥッチョ等画家たちの視線もまた、当時の社会で行われた空間の検証法と結びついていた。シエナ派の風景表現は、都市に対する1300年代のまなざしの中で生まれたものである。以下、本稿では、ドゥッチョの《マエスタ》「山頂での誘惑」を主な手掛かりに、都市空間のイメージ化という観点から、中世末期のシエナにおける風景表現の誕生について考察したい。1.《マエスタ》「山頂での誘惑」:図像伝統とドゥッチョの俯瞰的景観描写悪魔によるキリスト誘惑の物語を記すマタイおよびルカ福音書によれば、キリストは高い山に連れて行かれ、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せられて、もし悪魔を拝むなら、これをみな与えようとそそのかされたと言う(注7)。ドゥッチョは表裏両面からなる祭壇画《マエスタ》の裏側のプレデッラに、このエピソード〔図2〕を描いている。物語場面はいくつもの都市が点々とする連山が舞台である。キリストは画面手前の岩山の上に立ち、右手を伸ばし悪魔をなじるように指差している。画面右端の天使二人は、悪魔が去った後、キリストに仕えにやってきた者たちであろう。一見、テキストの忠実な絵画化に思われる「山頂での誘惑」図であるが、中世の図像伝統において、「世のすべての国々」を文字通り描いた例は少ない(注8)。その権力や繁栄もたいていの場合、真珠や貨幣、杯、家畜等によって象徴された。初期の作例のひとつ、カロリング朝の《シュトゥットガルト詩篇》の挿絵〔図3〕でも、「国々」の描写はなく、山の頂に立つキリストに悪魔が示しているのは、二つの杯や花のような形をした宝玉である。ところが、《マエスタ》では、キリストは遠ざかる山々を背後に控え、山頂から都市国家群を見下ろしている。ここでは、リアリスティックな細部を持つ中世風の都市建築そのものが、国の繁栄を表しているのである。ドゥッチョは、新しい誘惑図のアイディアをどこから得たのであろうか。「世のすべての国々」を描いた数少ない作例のひとつに、《マエスタ》と同時期のビザンティン絵画、イスタンブール、コーラ修道院のモザイク〔図4〕が挙げられる。コーラ修道院の「山頂での誘惑」場面も、険しい岩山が舞台である。段丘状に隆起した山は、従来の図像に比べ大きさを増して画面を広く占め、岩のヴォリュームによって空間的な雰囲気を創出している。悪魔の足下には塔を備えた城壁があり、俯瞰された囲いの内側には、冠をかぶりvを携えた六人の王の姿が見える。《マエスタ》の物語サイクルに繰り返し登場する岩山は、こうした後期ビザンティンの段丘表現に学んだものであり、また、ドゥッチョは「山頂での誘惑」以外の場面でも、同時代のビザ
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