―220―space」の典型は、ジョットのフレスコであろう。《マエスタ》と同時期に制作されたンティンからさまざまなモティーフを借用している(注9)。それゆえ、本場面の舞台描写についても、ビザンティン系の図像が発想源のひとつとして考えられるだろう。しかし、《マエスタ》では、コーラ修道院のような王の像は排されて、国々の外観はより現実的なものとなり、空間のイリュージョンに対する関心もはるかに高い。ここでは、俯瞰的視線は都市のみならず連山にも向けられ、画面全体で統一的な展望図を描き出している。空間表現の点で、「山頂での誘惑」は《マエスタ》の物語サイクルの中でも最も意欲的な場面のひとつである。ここには一ヶ所に固定された視点も、幾何学的な遠近法もないが、ドゥッチョは既存の手法を用いて、大きな広がりを捉えようとしている。岩山は互いの重なり合いによって前後関係を、さらには色彩の階調変化によって連続的に後退する奥行きを創り出す。合間に挿入された建築モティーフも同様に、遠ざかるに従って明から暗へと色調を変え、プロポーションも漸次縮小してゆく。前景のモティーフは最も高い視点から俯瞰され、山は頂きの地面を、都市は舗装路を見せている。中景では視点はやや下がるものの、地表を走る川や道をたどることができる。後景になると、岩山は画面と平行に現れる。こうして、画平面を下から上へ上るにつれ、手前から奥へと展開する空間のイリュージョンが構築されているのである。光は、左上から画中のモティーフを一様に照らしてこの広がりに一体感を与え、山間をめぐる川や道は、観者に山や都市の位置関係を明らかにしながら、その視線を画面の奥へと導いてゆく。ドゥッチョの俯瞰的景観図は、「山頂での誘惑」の図像伝統のみならず、同時代絵画の一般的な空間表現からしても異例のものである。1200年代以降のイタリア絵画では、人物像の立つ地面と背景を描き分ける構図がもっぱら採用されてきた(注10)。イリュージョニズムの復活に伴い、三次元性を増していったこの「舞台空間stageパドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂の物語サイクルでは、いずれの場面も登場人物の目の高さから捉えられている。地面は画平面とほぼ垂直に設けられ、人物像のすぐ後ろには岩山や建築が画面と平行に置かれた。それら背景モティーフは人物構図に従属し、例えば、「ヨアキムと羊飼いたち」の場面〔図5〕では、岩山の稜線がうつむくヨアキムの背をなぞるように下降する。ジョットの絵画空間は、マッシヴな人物像の重みを支え、主人公の行為を効果的に演出するのにふさわしい舞台である。けれども、その奥行きは、水平の地面に立つ人物が把握できる限りの浅く閉じた領域に留まり、主人公の行動範囲を越えた空間への関心はほとんど認められない。
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