―223―対象とした地域図も作成されている。シエナ絵画の風景表現との関係でより興味深いのは、これらの地誌的地図である。シエナ国立古文書館に伝存する1306年のタラモーネ港の図〔図9〕は、中世イタリアの地域図の中でも最も古い作例のひとつである。タラモーネはシエナの南西に位置するティレニア海沿岸の港であり、内陸都市のシエナは海への玄関口を求め、この地を1303年に購入している。図面は建設予定の港町の平面図を表しており、一種の入植プランであったとされている(注21)。町は波立つ海に突き出した半島の上にあり、門や塔を備えた市壁の内部は道路によって格子状に仕切られている。各街区には入植者の氏名が記され、十字架を頂いた教会堂に鐘楼、そして四本の塔と二つの戸口を持った城館も認められる。公証人が描いたと思しき地図はいかにも素朴である。平面図に建築物の立面図が混在し、近代以降の地図のような座標系も固定された縮尺もない。しかし、空間を上から見下ろす姿勢、また、環境の多様さの中から特定の現象を選択し、それらをあるコンテクストのもとで平面上に再現するというアプローチは、地図制作の原理に従うものであり、それはさらに、風景の表現行為とも通じ合う(注22)。中世において、地図と絵画の境界は曖昧であった。近代になって科学の知識が絵画的要素を駆逐するまで、地図は記号やシンボルによる図表であるよりも、しばしば「絵地図picture-map」として描かれた。地図と絵画は表現伝統や機能を共有し、アンブロジオの《世界図》がそうであるように、制作者も区別されていなかったのである。タラモーネの絵地図が、現地での測量にもとづいて制作されたのか、それとも机上のプランであるかは定かでない。どちらにせよ、図面上で問題となっているのは、各々の構成要素ではなく、道路と街区の、都市と海との位置関係を読み解き、入植地の空間をこれらの総体として俯瞰することである。都市空間に対するそうした態度は実際、シエナ画家たちの風景表現にも認められる。ドゥッチョ等のモデルとなったのは、例えば、1200年代後半、チマブーエがアッシジ、サン・フランチェスコ聖堂上堂に描いた“YTALIA”のような都市モティーフ〔図10〕であった。福音書記者マルコ像のアトリビュートである都市は、伝統に従い、俯瞰的に捉えた一群の建築ユニットとして表されている。ファサード装飾を持つサン・ピエトロ大聖堂、開口部付のドームを頂いたパンテオンといった細部描写は、この町がローマであることを明らかにしており、ブロック状の建築物は、自らの量塊感によって画面に一種の空間性を与えている。だが、そこで強調されているのは、都市空間の全体性ではなく個々の建物の立体性であり、建築群は相互の位置も曖昧なまま、
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