鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―224―“YTALIA”のごとく画面上で孤立するのではなしに、空間の連続的広がりの中で周市壁の上方に積み上がっている。一方、アンブロジオに帰属されるシエナ国立絵画館の板絵《海辺の都市》〔図11〕では、視点が高くとられ視界が広がり、都市は俯瞰図と平面図の中間的なものとなっている(注23)。市壁は図式的な幾何学プランから解放され、不規則な輪郭を描いている。画家は従来の建築ユニットをいったん解体し、市壁内の土地に道を敷き、個々の建物を改めてそこに秩序づけている。彼が描こうとするのは、建築物の集積体というより組織体としての都市であり、また、都市と海辺の環境との相互関係である。町は三本の道によって外の世界とつながり、モティーフ同士の重なりによって、背後に海を見下ろす高台の上に在ることを示している。ドゥッチョの「山頂での誘惑」〔図2〕は、チマブーエとアンブロジオの都市表現の間に位置づけられるだろう。都市は建物の集積体としての性格を残し、舞台の三次元性はいまだ個別モティーフの立体性と強く結びついている。けれども、画面左下の町では、建物が矩形の市壁に沿って一定方向に配され、舗装路ののぞく右下の町にも、都市プランへの配慮が感じられる。さらに、これらの都市は、チマブーエの囲の岩山と関係づけられ、統一的な展望図を構成しているのである。中世の地図と絵画が近い間柄にあったとは言え、ドゥッチョ等シエナ派の景観描写は、イリュージョニズムを主たる課題としている点で、環境に関する情報伝達を目的とした地図とは異なっている。また、一般に、地図の視線が図面上のあらゆる要素に均等に向かう超越的性格を持つ一方、絵画のそれは相対的な方向性を有するという基本的な違いも考慮しなければならない(注24)。けれども、慣習的なモデルからドゥッチョ、アンブロジオへと風景表現の展開を促したのは、都市とその環境を広く見下ろす視線であった。都市の景観を対象化し、俯瞰的風景として視覚化する際、シエナ画家たちの一拠り所となったのは、地図的な空間解読法ではなかったか。それは、絵画伝統における古い表現を修正し、都市を、あるいは都市を含む世界をひとつのイメージとして構成する枠組みを与えてくれたのではないだろうか。政府のお抱え的な画家であった彼らは、アンブロジオのように、注文制作を通じて地図を知ることができたであろう。ドゥッチョは1200年代末、町の新しい貯水槽の設置場所を決める委員に任命されているが、そうした都市の建設事業に関わる過程で、地図的な見方に触れることができたかもしれない(注25)。

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