―234―「書斎の聖ヒエロニムス」とがあげられるが、スペインではとりわけ宗教的感情を高動をあらゆる側面から支えていた点にも留意すべきである。それを考察することによってはじめて、画家がトレドでどのように活動していたかの一端を具体的に知ることができると思われるからだ。イリェスカスの《聖イルデフォンソ》トレドとマドリードの中間にあるイリェスカスという小さな町にあるカリダー施療院の付属礼拝堂にはエル・グレコによる作品が5点設置されている(注10)。しかし、これら5点の作品のうち《聖イルデフォンソ》〔図3〕という作品だけが、契約時やその後の訴訟における記録に一切登場しない。《聖イルデフォンソ》の記述が最初に見出せるのは18世紀初頭のイリェスカスについての記録の中で(注11)、その後の著作にもカリダー礼拝堂内にあるという記載がいくつか残っている(注12)。本作品がカリダー礼拝堂のために描かれたものであることは、エンリケータ・ハリスが指摘したように、この礼拝堂の中央に設置されている聖母像の持ち主が、カリダー施療院の創設者聖イルデフォンソであったことから説明できる(注13)。しかし、通常の「聖イルデフォンソ」の図像が、聖母から法衣を授かる場面か〔図4〕、あるいは大司教の姿で〔図5〕描かれていたのに対して、本作品は、書き物をしている最中にふと顔をあげたところという独特の姿で描かれていることは注目すべきである。場面は、聖具室のような室内が設定されており、聖イルデフォンソは、その中央で、金糸の装飾がほどこされた深紅の布がかけられた机に向かっている。彼は白髪で白髭の老人として表されており、その表情は冷静で思慮深い。また、机の上には数冊の本の他に、ペン、四角いインク壷、ベルなどが置かれ、ここが一種の書斎であることを示している。このような場面設定、そしてこの老人の姿は、書斎にいる聖人の姿を示しており、この図像はまさに学者として表された「書斎の聖ヒエロニムス」を想起させる。「聖ヒエロニムス」の図像には主に「荒野で胸を石打つ悔悟の聖ヒエロニムス」とめる荒野にいる聖人像が好まれた。エル・グレコは多くの他のスペインの画家と同様に荒野にいる聖ヒエロニムスを描いた一方で、《学者(あるいは枢機卿)としての聖ヒエロニムス》〔図6〕も制作した。この作品では、赤い外衣を羽織り、白髪と白髭の老人として表された聖人が、書斎で読み物の最中に手をとめ、こちらを凝視する姿が描かれている。荒野での修行中の聖人の姿ではなく、学者、すなわち、枢機卿としての聖人像は、トレドはもとよりスペインではさほど好まれたモチーフでなかったに
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