鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―235―もかかわらず、エル・グレコがそれを表していることは注目に値する。この作品については、先にあげたコバルビアスやマルティン・ラミレス、そしてメンドーサに向けて描かれた作品であったことがすでに指摘されている(注14)。では実際、彼らは聖ヒエロニムスをどのように捉えていたのだろうか。ここでメンドーサが残した伝記『栄光ある聖イルデフォンソ』に注目したい。メンドーサは多くの著作を残したが、なかでも、スペイン君主制の歴史やスペイン貴族について、またトレドの威光に貢献した聖職者たちの伝記に興味を注いでいた(注15)。伝記『栄光ある聖イルデフォンソ』はその一つに数えられる。そこには以下のように記されている。「聖なるカトリック教会では絵画によって確証される事柄がたくさんある。それらの中で、聖ヒエロニムスは枢機卿であった[という事実があり、それは彼が枢機卿の]僧服とさまざまなしるしをともなって描かれることにより示されている。」(注16)存命中、枢機卿にはならなかった聖ヒエロニムスであるが、メンドーサは枢機卿である聖ヒエロニムスを支持する記述を残した。要するに、メンドーサにとってより適切に表現された聖ヒエロニムス像とは、荒野にいる姿ではなく、学者の姿だったのである。また、著作のある一章「聖イルデフォンソの奇跡について」では、聖ヒエロニムスを17世紀に大きな影響力を持った哲学者ピュタゴラスと比較し「より高く信用すべき」であり、様々なことを知るために「われわれにとってはどんな事柄についても聖ヒエロニムスで十分なのである」とも記している(注17)。聖イルデフォンソの伝記に記された聖ヒエロニムスに対するこれらの記述は、結果として、両聖人の重要性を相乗的に高めている。あるいは、聖イルデフォンソを教父の一人である聖ヒエロニムスの姿に重ね合わせることで、聖イルデフォンソの重要性を暗に強調しているともいえる(注18)。一方、聖イルデフォンソ自身については、その「著作」ゆえに尊敬に値するという論調を貫いている(注19)。メンドーサは、聖イルデフォンソが聖母マリアから法衣を授与されたことを祝う式典の歴史を述べる一方で、この聖人の「執筆活動」の崇高さを強調しているのである。そこには、教父であった聖ヒエロニムスの著作家としての側面を念頭において、聖イルデフォンソをその高みにまでもっていく意図がうかがわれる。そしてこうしたメンドーサの思想に一致するような、まさに書斎の聖ヒエロニムスを想起させる姿の聖イルデフォンソ像を描いたのが《聖イルデフォンソ》といえるだろう。さらに、メンドーサは著作の中で絵画の重要性についても繰り返している。財産目録に130点もの絵画が記されていたことからもメンドーサが絵画に傾倒していたこと

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