鹿島美術研究 年報第25号別冊(2008)
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―244―「青の時代のピカソを想はせるやうな暗い沈んだ色調」に覆われていることから「青の部屋」(注24)と呼んでいる。彼らの絵の色彩に関しては、大田耕治なども「プロ美術を描く人は一様に、暗い青つぽい色彩を使つてゐる」(注25)と語っており、一つの特徴をなしていた〔図6〕。昭和5年には、オルガナイザーとして羽根田一郎が東京から派遣され(注20)、第2回プロレタリア美術展覧会の巡回展を開催した〔図4〕。この展覧会は、当時大阪の文化活動の中心地であり、築地小劇場の大阪公演なども開催された朝日会館を会場として開催されている。こうした大規模な巡回展は、京都や札幌でも催されており、地方のプロレタリア美術運動の活況をうかがわせよう。この年一度の展覧会には、地方支部から地元の労働問題に密着した作品が出品された。東京自治会館でひらかれた昭和6年の第4回プロレタリア美術展には、大阪支部から神戸の海員組合への弾圧に取材した「彼奴がやられた」〔図5〕や、岸和田の労働争議を題材とした「浜松争議絵巻」が出品されている。「彼奴がやられた」は、羽根田一郎と高須敏による作品であり、「浜松争議絵巻」は、大阪支部員による合作であった。地方支部員は相対的に経験が不足しており、技量の乏しさを補いながら大作を制作するためか、合作作品が多く見られた。3.帝展の中のプロレタリア美術第1回プロレタリア美術展覧会が開催された翌年の昭和4年頃から、帝展出品作には工業労働者の勤労をテーマとした作品が数多くみられるようになった。こうしたテーマは多くの画家が散発的にあつかっていたが、継続して出品した画家には大沼かねよ、尾崎三郎、橋本八百二、福田新生、堀田清治らがいた。彼らは槐樹社展に出品する若手作家である。福田は、槐樹社が「プロレタリヤ美術家同盟とは別個な立脚地から成長しつゝあるプロレタリヤ美術の唯一の注目に値するものである」(注21)と述べている。槐樹社は、帝展に洋画作品を出品する若手から中堅の画家が集まった団体であり(注22)、橋本や福田は、大正13年(1924)の第一回槐樹社展から参加していた。この槐樹社展に目立って労働をテーマとした作品があらわれたのも、昭和4年の第6回展のことである。こうした傾向の作品は第7室に集められ、「労働の室」(注23)などと呼ばれた。仲田定之助は、この部屋に集まる作品が、「明るい所謂槐樹社風の作品」ではなく、ただし、同じ労働者をモチーフにしながらも、テーマの選択には違いが見られる。

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