:平安時代中・後期における薬師如来信仰とその造像に関する研究―252―研 究 者:大分県立歴史博物館 学芸員 井 上 大 樹はじめに本稿は平安時代中・後期における薬師如来に対する信仰と、それを背景に造像された薬師如来像の考察を目的とする。当代の薬師如来像には、案外に在銘像が多いことに気づく(注1)。京都・西明寺の薬師如来坐像は、像内刳面の墨書銘により永承2年(1047)に制作されたことが知られる(注2)。銘文によれば、上野信永らが「現世後生引道」、すなわち現世のみならず後生への引導を願って造像されたことがわかる。また、滋賀・称念寺の薬師如来立像は、像内背部の墨書銘により、延久6年(1074)の制作であり(注3)、その銘文の日付には「彼岸入日」と記されている。この彼岸入日とは、「八月廿五日」の日付から秋の彼岸の入りの日と考えられる。この制度は『観無量寿経』の日想観に由来することから阿弥陀信仰と関わる。したがって、本来阿弥陀信仰と結びつく文言が薬師如来像の銘文に記されていることになる。これらの銘文は、来世信仰の内容を含み、一般に現世利益を中心とする薬師信仰とは符合しないように思われる。ではこのような内容が銘文に入ったのはなぜだろうか。薬師経典のうち、玄奘訳の『仏説薬師瑠璃光如来本願功徳経』には、次のように記されている。以此善根願生西方極楽世界無量寿仏所。聴聞正法而未定者。若聞世尊薬師瑠璃光如来名号。臨命終時有八菩薩。乗神通来示其道路。ここには、西方極楽浄土への往生と正法の聴聞を願って未だ定まらない者は、薬師如来の名号を聞けば臨終に際して八菩薩が来て極楽への道を示してくれるという。したがって薬師如来に阿弥陀浄土への引導者としての役割をみることができる。これは、西明寺像の銘文に後生への引導が願われていることとも通じる。こうした薬師に対する同様の期待は日本のみではなく、中国、朝鮮半島にも浄土往生を願って制作されたとみられる作例が知られている(注4)。一般に、平安時代中・後期の浄土信仰の隆盛が阿弥陀如来に対する信仰を高め、多数の阿弥陀堂の建立、阿弥陀如来像の造像が行われたといわれる。そしてその背景には永承7年(1052)に迎えると考えられていた末法の到来があったとされる。このようななかで、薬師如来に対しても阿弥陀浄土(『大正新脩大蔵経』14−406−B)
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